高騰ぶりに驚愕「300万円の投資が4000万円になった」まるでバブル景気、アフターコロナはどうなる?

大西 昭彦 大西 昭彦
上昇する株価チャートと人波(三宮センター街)
上昇する株価チャートと人波(三宮センター街)

 4月はじめの、やけに陽気のいい日だった。神戸市の御影は瀟洒な住宅地で、そこにある古い喫茶店でひさしぶりに友人とコーヒーを飲んでいるとき、ふいにビットコインの話がでた。「300万円の投資が4000万円になった」のだという。金額に気をとられがちだが、おどろくべきなのはその増え方にある。わずか1年間ほどで、元手が10倍以上に膨らんでいる。その異様な高騰ぶりは、投資というよりまさに投機的だ。

 第4波の声もあがっているコロナ禍にあって、日経平均株価も上昇を続けている。昨年4月に7都道府県に緊急事態宣言がでたころから、株式市場は強気相場に転じた。コロナ対策として市場にあふれでた「緩和マネー」が、株や仮想通貨の高騰を招いているのはたしかだろう。ここにきて経済誌はこぞって株特集を組み、書店の棚には株関連本のボリュームが増している。これまで縁のなかった株取引をはじめた、という知人もいる。

 そういう話を耳にするたび、「この道はいつか来た道」という思いがわきあがってくる。

「この道はいつか来た道」なのか

 いまから30年あまり前のことだ。1980年代後半の日本はバブル景気にわいていた。円高による不況を乗り切るために、金融緩和措置がとられ、そのマネーがどっと市場に流れこんだのである。高級車にゴルフ会員権、不動産、絵画オークション、ブランド品などなど、人々の関心は投資や投機にむかった。

 証券会社に勤めはじめた友だちのボーナスを聞いて、「なんだよ、そのふざけた金額は!」と思ったのを覚えている。いま思えば入社2、3年目の平社員だというのに、年末のボーナス額は現在の世帯平均年収を大きく上回っていた。

 当時の私は20代で、たしかにカネ回りがいい時代だとは思っていたけれど、私自身がその恩恵にあずかったわけではない。むしろどこか居心地が悪くて、ヘンな時代だなぁという気分が強かった。2センチばかり地面から浮きあがって、フワフワしている感じだ。それがどうも落ち着かない。

 1986年12月の日経平均株価は、1万2000円台の後半くらいだった。それが3年後の1989年12月29日、年内最後の取引日の終値は3万8915円となり、史上最高値をつけた。しかし、その2年後にはバブルが崩壊し、やがて株価は7000円前後にまで下落していく。その株価がいま、ふたたび3万円を超えていこうとしている。ただし30年前といまが大きく異なるのは、「持てる者」と「持たざる者」の差が際立っていることである。

生活はあのころより、はるかに厳しい

 あのころに感じていた時代の空気への違和感は、いまの若者にもあることだろう。いや、もっと厳しいものにちがいない。せっかく社会人になっても、奨学金返済に20年もかけなくてはならない、という話がごろごろしている。はたして生活していけるのか。その不安が若者たちのなかにある。

 ビットコインで「濡れ手に粟(あわ)」を体現した友人は、「まだしばらくは過剰気味なマネーの動きが継続する」と見ている。しかし、いつかは収縮する。また“ババ抜き”がはじまっているなぁ、という思いがひたひたと脳裏に迫ってくる。外は春の陽気だ。桜の花びらが舞っている。多くの人は、自分が最後までジョーカーをもつことになるとは思っていない。コロナ禍がすぎてあたりを見渡したとき、はたしてどんな風景が広がっているのか。

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