ただ、「あいたい」―。亡き人へ綴られた800通超「漂流ポスト」管理人が語る東日本10年「『節目』じゃない」

北村 泰介 北村 泰介

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年の節目を迎える。だが、「節目」という言葉が心に響かない人もいる。身近な存在を亡くした当事者にとって「節目」などはなく、時は止まったまま、喪失感を抱え続ける。そんな人たちの思いを受け止めているのが、被災地・岩手県陸前高田市の山奥にある「漂流ポスト」。亡き人への思いをつづった手紙が届く郵便ポストだ。18年に製作された短編映画「漂流ポスト」(清水健斗監督)が3月5日から東京・アップリンク渋谷などで順次劇場公開されることを機に、ポストを管理、運営する赤川勇治さん(71)に話をうかがった。

 漂流ポストは2014年に、ガーデンカフェ「森の小舎(こや)」の敷地内に建てられた。赤川さんは27歳の時に横浜市から岩手県に移住。仕事をリタイアした震災前年に陸前高田市のセカンドハウスで生活を始めたが、震災後、その家が被災者遺族らの集うカフェとなった。

 「もともとカフェをやるつもりではなかった。山の中で、たまに迷った人がうちに来られて、『休ませてください』ということで一緒にお話しするようになり、せっかくだからお茶を出したということです。うちは高い場所にあるので被災しなかったのですが、避難所を訪ねると、皆さんから『森の小舎を開放して欲しい』と言われ、ライフラインが回復したその年の夏から思いを語る場になった。そして、震災から3年後の3月を迎える少し前に、遠い場所からも声を届けられるようにとポストを置いた。はがきや便せんに1行でも書いて欲しいと。私が考えついたのではなく、皆さんの思いに導かれてできたことです」

 メールが当たり前の時代、手書きにこだわる理由について、赤川さんは「便せんの上で動くペン先を見ていると、文字と同時に相手の顔が頭の中に浮かぶんですよ。アナログであるところに意味がある」と話す。

 「あいたい」。800通以上の中、最も多く、文面の最初に出てくる言葉だという。赤川さんは「『あいたい』と、ほとんど平仮名で書かれています。『だきしめたい』がそれに次ぎますが、こちらは亡き子に対するお母さんの手紙。『あいたい』は性別年齢関係なく最も多い」と明かす。

 そして、現地を訪れる人にとって、ポストは亡き人の魂を擬人化した、まるで「お地蔵さん」のような存在になっているという。

 「訪ねてきた人は車から降りて、私ではなく、まずポストに直行し、ポストの頭に手を当てて語りかけている。子どもを亡くしたお母さんは『ようやく、来てあげることができたよ。寂しかっただろ』とポストに話しかけている。ポストは子どもさんの身代わりです。私は遠くからそれを見てきました。ポストに語り掛けた後は必ず空を仰ぎます。亡くなった方たちがポストの真上の空にいると思って。それで少しお元気になって帰っていかれる」

 10年の「節目」とされることについて、赤川さんには思いがある。

 「10年で『節目』と言われますが、被災者の人には何の節目にもなっていません。1人1人の心は閉ざされたままで、今も手紙を書くことができない人がいます。震災から何年という考えではなく、それぞれが一歩前に踏み出せた時から始まるんだと。私はそうした人たちに寄り添いたい」

 手紙はポスト内ではなく、その後部に置かれている四角い郵便箱に保管されている。

 「週に1度は整理します。2、3年前にカフェをやめ、『漂流ポスト小屋』にして、手紙を閲覧して談話できるようになっています。閲覧の是非を確認すると、半分の人は公開したくないと。住所や名前を書けない方もいらっしゃる。一方で、手紙を通して出合った方たちの同窓会をやって欲しいという声もあり、それが私の宿題です。今は皆さんとゆっくりお話し、寄り添える時間を大切にしています。いつまで私ができるかという不安はあります。ゴールはない。私が動ける間はやり続けるつもりです」

 住所は、〒029-2208 岩手県陸前高田市広田町赤坂角地159の2 漂流ポスト。「岩手県陸前高田市 漂流ポスト」だけでも届くという。

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