故郷・福岡県で妻の出産に立ち会うため、東京・高田馬場のうどん店主が臨時休業を伝えるべく「ご麺なさい」とつづった貼り紙が2019年3月にSNSで話題になった。それから2年。当時は予想だにしなかった新型コロナウイルスの感染拡大で2度目の緊急事態宣言が延長される中、店主は試行錯誤を続けながら都内で営業を続けている。飲食店が厳しい状況にある中、改めて話を聞いた。
福岡市に本店がある「大地のうどん」の「東京馬場店」の店主・阿部修さん(37)。「私事ではありますが、妻がお産を無事終えた為、ありがとう、そして愛してると伝えたい衝動が抑えられず、福岡に帰らせて頂きます。勝手な都合で本当にご麺なさい」。このフレーズで来店客やネット民の心をとらえた。
だが、コロナ禍の昨年以来、「お客さんは4割減」になったという。テレワークの普及で平日ランチタイムのサラリーマンが減り、コロナ前は夜10時半までだった夜営業も現在は8時閉店。飲酒後の締めなどで訪れていた学生らの姿も消えた。
「僕は個人事業主ですけど、本社がなかったら、この店はつぶれていたと思います。この1年、耐える事ができたのは『総大将』(大地のうどんチェーン社長)のおかげ。4月から3か月間の家賃を見返りなしに出してくれた。そんな男気に助けられ、頑張らないけんと」
昨年の緊急事態宣言時は4月から1か月休業し、テイクアウトのみで営業。そのテイクアウトは夏場以降に一時休止したが、昨年12月から本格的に再開した。ご飯ものではカツ丼が「感染症に勝つ丼」、牛丼は「愛する人をぎゅーとする丼」、天丼は「100点満点丼」、カツカレー丼は「勝つカレー」というネーミングで全て税込700円。「うどん出汁のおでん」は牛すじ、こんにゃく、大根、丸天の4種盛りで同600円だ。
「主役」のうどんをテイクアウトにできなかったのには理由がある。透明でコシのある同店独特の「麺」へのこだわりゆえだった。
「切り立て茹(ゆ)でたてじゃないと、時間が経つと劣化してしまい、どうしても満足できなかったからです。うどん玉で販売して、家族で楽しみながら伸ばして切って茹でてもらうというのを最初は考えたのですが、やっばりそれも難しい。うどんを出せばたくさんの注文をいただけたと思いますが、それは違うと思い、丼物にしました。売り上げは多い日で2万円、あとは1万円いかん感じですね。でも、やれることからせんと」
そして、阿部さんは「よう考えたら『愛する人をぎゅー』ってソーシャルディスタンスになってないですね」と笑った。そこはそれ、「心の中」ならOKだろう。
北九州市から志を持って上京し、3月で6年目に入る。「『大地のうどん』を東京に出したいと思って出てきて、コロナごときで店を潰してしまっては応援してくれた人に申し訳ない。一生、守り抜かないけんと覚悟を決めてます。そして、医療従事者の方たちにも僕なりに何かできんやろかと。定休日の水曜にナイチンゲールセットとして無料で食べてもらおうかとも考えましたが、妻に『看護師さんらにとって、今一番必要なんは、店を開けんことなんよ』と言われて、あ、そうかと。でも何かしたいです」
阿部さんにとって、コロナ禍で唯一の救いは、長女・笑心(にこ)ちゃんが寝る前に帰宅できること。貼り紙で伝えた妻の出産で生まれた女の子だ。3月で2歳になる。
「コロナで一つだけモチベーションが保てる、よかったなと思うことは、帰ると娘が迎えてくれること。以前の帰宅は深夜12時くらいで娘は100%寝てたけど、今は夜9時過ぎにドアを開けたら、寝室から出てきて抱きついてくる。その姿を見るのがたまらんです。娘には頭が上がりません。時短営業で娘が起きている時間に帰宅できることを明日の活力に、おいしいと思ってもらえるうどんを作る原動力にしています」
阿部さんは自宅で大切に保管している貼り紙を取材のために店まで持参してくれた。「今でも貼り紙のことを言ってくれるお客さんはいっぱいいて、貼り紙がきっかけで常連さんになってくれたお客さんもいます。阿部家の家宝です」。あの「ご麺なさい」から2年。カウンター席を仕切るアクリルボードには「一生懸麺」と書かれていた。