映画「男はつらいよ」シリーズゆかりの京成電鉄・柴又駅のホームに「寅さん」こと、主人公・車寅次郎の顔をかたどった路線図アートが2019年10月から掲示され、1年後の今年末になってSNSで話題になった。全50作のタイトルが駅名のように記され、登場人物の役名も加えられているのだが、寅次郎と妹・さくらの家族以外で、後藤久美子演じる「泉」の名があったことに着目した。なぜ、泉なのか。作者である鉄道設計技士の大森正樹さんにその理由をうかがった。
大森さんは1967年、東京生まれ。89年、関西に本社のある鉄道会社に入社。年賀状などのプライベートなアート作品が注目され、阪神タイガースの虎マークの路線図等が話題になった。
柴又駅の作品は第1作の公開から50周年の2019年に開催された「男はつらいよファンアートコンテスト」で最優秀賞に輝いた。時差を経た「ブレーク」に対し、大森さんは当サイトの取材に「驚きましたが、これは最高のストーリーと思います。あれだけ公然と誰もが目にすることができる状態なのに、多くの人が『言われないと分からんかった!』との反応。1年、気づかせなかったのは最高の褒め言葉かもしれません」と喜びを表した。
この作品は、生まれ育った東京を離れて関西に移り住み、ちょうど30年の節目に生まれた寅さんへのオマージュ。自宅は兵庫、職場は大阪。そんな大森さんが師走のある日、東京に来られたタイミングでお話をうかがった。
路線図には作品名を記した全10線が寅さんの顔を描くように循環。その中に5人の役名が登場する。寅さんの右目じり部分に博(前田吟)と満男(吉岡秀隆)の父子、左目じりに寅次郎とさくら(倍賞千恵子)の兄妹、そして鼻部分に泉が記されている。
第1作からのレギュラー出演者には、おいちゃん(車竜造=森川信、松村達雄、下條正巳)、おばちゃん(車つね=三崎千恵子)、タコ社長(太宰久雄)、御前様(笠智衆)、源吉(佐藤蛾次郎)がいるが、作品に彼らの名はない。「泉」こと、及川泉は89年12月公開の第42作「僕の伯父さん」で初登場し、渥美さんの遺作となる95年12月公開の第48作「寅次郎 紅の花」まで計5作に出演。満男の存在が大きくなる終盤作で、満男のマドンナとなった。
大森さんは「作品名以外にも、男はつらいよ、に関係する固有名詞を入れようと構想しました。しかし、あまり入れ過ぎると50作品をたどるというコンセプトに支障をきたすので、最小限の登場人物にしました。あと、固有名詞で認識されている人が意外に少ないのです。おいちゃん、おばちゃん、御前様。タコ社長は梅太郎と名がありますが、かなりのファンでないとピンとこない。歴代マドンナも考えましたが、ボリュームが多くなりすぎます」と指摘した。
その上で「寅さんは家族の物語です。さくらの家族の壮大な物語でもあると思います。結婚して満男が生まれてアパートからマイホームへ、そして後半は満男がもう一人の主役となり、恋をして…となると泉ちゃんは欠かせないなあ、と思います。第50作『お帰り 寅さん』公開前でもあり、新作への期待を高める狙いもありました」と説明した。
確かに、昨年公開の「お帰り 寅さん」で泉は主役といっていいほどの存在感を放っていた。大森さんは「以上は公式見解ですが…本当のところは後藤久美子さんが、この路線図を見てくれたらうれしいなあ、との想いがありました。これが一番の理由です」と笑った。
大森さんが「男はつらいよ」を初めて映画館で見たのは第18作「寅次郎純情詩集」(76年12月公開)。「小学校4年でした。3、4歳の時、(柴又の隣駅)金町に住んでいたので、水元公園など馴染みのある場所も出てきて親近感がありました。子供でも笑えるという楽しさもありますが、究極の自由人として憧れていました。ふと思い立って旅に出る、今でも憧れます」。一方で満男へのシンパシーもある。
大森さんは「満男シリーズをコアなファンは、本筋と見なさないようですが、私はこちらも好きで、寅さんのように自由にならずに、受験や就活や恋愛に苦しむ姿に共感します。満男とは同世代なので、自分の人生と重なります。同じ年齢で同じ風景を見て、同じ社会の空気を吸っていました。満男が泉ちゃんに抱く想いは、ラブストーリーとして誰もが理解できるものですが、一方で満男の同世代だけが理解できる甘酸っぱい感覚も存在するのです。同世代ならではの後藤久美子さんへのリスペクトや憧れ、そんな想いが伝わればいいですね」と思いを込めた。
柴又駅の路線図アートはゴクミへの「ラブレター」という側面もあったのだ。