「腐ったミカン」から40年…まさる・直江喜一は建設会社の管理職 兼業で俳優、音楽活動も本格化

あの人~ネクストステージ

北村 泰介 北村 泰介

 「腐ったミカン」から40年。ミカンは折り鶴になってネット空間で羽ばたいた。

 コロナ禍の中、TBS系ドラマ「3年B組金八先生」の出演者が医療従事者や自粛生活を続ける人への感謝を伝える「#桜中学折り鶴バトン」がSNSで拡散された。発案者は第2シリーズ(1980年10月―81年3月)で不良生徒・加藤優(まさる)を演じた直江喜一。建設会社の管理職にして俳優、時々、音楽活動…。活動の幅を広げながら、3年後に迫った還暦後の人生を模索している。

 桜中学3年の加藤を演じた直江は出演時、高校3年生だった。第5、6話「腐ったミカンの方程式」で、教師役の武田鉄矢が加藤らを例えたフレーズ「腐ったミカン」は流行語となり、人気がブレイク。「自宅の空き部屋はファンレターやぬいぐるみでぎゅうぎゅう詰め。バレンタインデーには冷蔵庫が1年分のチョコレートで満杯になった」という。

 81年3月20日放送の第24話。加藤らが卒業式前の放送室に立てこもって逮捕され、中島みゆきの「世情」が流れる中、手錠を掛けられ、護送される姿をスローモーションで描いたシーンは今も語り継がれる。視聴率は30%を超え、オンエア中、直江の自宅に「感動してる!」と電話がかかってくるほど反響は大きかった。

 だが、20代になると仕事が減り、生活のため塗装業に従事。22歳で結婚し、長女が小学校に上がる時期でもあり、29歳で役者をやめた。「30歳が一つの節目」と考えた。建設会社に就職し、33歳で2級建築士などの資格を取得して35歳で現在の会社に転職。「まさる」の知名度もあって建設現場から営業担当に45歳で異動し、現在は部長を務める。

 40代半ばからオファーが続いて芸能活動を再開。「いまだに仕事先で『まさる』って言われますよ。18歳で名前が出たけど、24-25歳の時に金八の話はしてほしくなかった。ところが、当時を知る世代がプロデューサーや監督になり、俳優として仕事が入ってきた」。13年のキネマ旬報ベストワンに輝いた映画「ペコロスの母に会いに行く」では「金八」の校長役だった赤木春恵さんを車イスで押す「まさる」がいた。

 「基本、僕はサラリーマンだから土日祝日で時間があれば。会社にも兼業申請を出してOKもらってやっています」。この状況には「あれだけ仕事が欲しかった20代に仕事がなかったのに…。この年になって、ありがたいです」と感謝する。

 51歳から石川県金沢市に赴任した3年間も転機になった。能登の見附島に魅せられ、「見附島のえんむすびーちで!」という曲を作詞作曲。同曲はカラオケに入り、音楽活動にも本腰を入れ始めた。デビュー曲「悲しきティーン・エイジャー」のセルフカバーや20代後半から書き溜めた曲を収録したアルバム「道」などCDもリリース。「直江喜一とオレンジブレイカーズ」を結成し、10回目の節目となる記念ライブを今年11月29日に銀座で予定している。

 「金沢に行ってなければこの曲はできていない。中年のバツイチ同士のカップルが名所を巡りながらプロポーズをするという詞で、それが僕の再婚相手です」。川谷拓三さん主演のTBS系「3年B組貫八先生」(82年度放送)に生徒役で出演していた女性と昨年、再婚。「2人の娘が昨年7月にそろって出産し、僕の孫は小学3年から生後10か月までの6人になりました。(再婚した)妻の孫2人も含めると計8人です」と明かす。

 「人生巡りめぐって全部つながっている」と実感する。「会社がまずあって、劇団、映画やテレビ、親父バンド、金沢で始めたマラソン、一昨年に入った東京・中野の消防団…。いろんなことをやりながら、60歳を前に、自分の人生を模索中です。そこから70歳までの10年をどう過ごすか」。ちなみに、「金八」第8シリーズまでの出演者と、今も「先生」と呼ぶ武田の誕生日に行う飲み会の幹事でもある。先生からは「お前、いい生き方してんな!」と言われたという。

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 直江喜一(なおえ・きいち)1963年1月8日生まれの57歳、東京都出身。79年に俳優デビュー。フジテレビ系「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」(90年)などバラエティー番組にも出演したが、92年に引退。活動再開後は、BS-TBS「水戸黄門」、主演舞台「でんすけ」、映画「糸」「おいしい給食」など多数出演。松井建設東京支店営業第二部部長。一級建築施工管理技士。

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