比叡山山中にある秘境駅を降りると…まるで異世界、焼き打ちゆかりの石仏も

天草 愛理 天草 愛理
「秘境駅」に行ってみた

 ケーブルカーが走り去ると、川のせせらぎと鳥のさえずりしか聞こえなくなる。大津市坂本地区と比叡山延暦寺を結ぶ「坂本ケーブル」には、「秘境駅」として知られる中間駅がある。山の中にぽつんとある駅は、周辺の見どころが限られており、駅員に申告しなければ下車も乗車もできずに通過されてしまうという「秘境」っぷり。一体、どのようなところなのか。11月上旬の晴れた朝、坂本ケーブルの出発地「ケーブル坂本駅」に向かった。

 坂本ケーブルは1927年3月、比叡山延暦寺の表参道として開通した。全長2025メートルと日本最長のケーブルカーだ。二つのトンネルと七つの橋りょうを通り、山を縫うように走っているのでカーブが多い。なぜそんなぐねぐね軌道なのかというと、坂本ケーブルが比叡山延暦寺と日吉大社という格式の高い社寺がある地域に敷設されていることが関係している。両社寺に不敬にならないよう、琵琶湖側から線路が見えない設計となっているためという。

 当初は「坂本駅(現ケーブル坂本駅)」と「叡山中堂駅(現ケーブル延暦寺駅)」の2駅のみだったが、1949年には「裳立山(もたてやま)遊園地駅(現もたて山駅)」、1984年には「ほうらい丘駅」という中間駅がそれぞれ開通した。もたて山駅とほうらい丘駅は「秘境駅」として有名となり、秘境駅マニアや「撮り鉄」らが足を運ぶ場所となっているという。

 坂本ケーブルを運行する「比叡山鉄道」の役員鈴木明智さん(61)に案内してもらい、もたて山駅とほうらい丘駅へ向かった。乗車券を提示する際に駅員にほうらい丘駅で下車する旨を伝え、ケーブルカーに乗り込む。平日の昼間だったが、車内は親子連れや高齢者でいっぱいだった。5月のゴールデンウイークや10~11月の紅葉時期は特に乗客が多いという。ケーブルカーは警笛を響かせながら、ゆっくりと動き出した。

 緩やかなカーブを通り、橋りょうを渡ると、山を切り開いて造った「ほこら」が見えてくる。ケーブル坂本駅を出発して2分、ほうらい丘駅に到着だ。下車するのは鈴木さんと記者のみ。他の乗客たちの不思議そうな視線を背中に感じつつ、駅のホームに降り立った。

 ケーブルカーが走り去ると、しんとした空気に包まれた。駅周辺はほこらがあるだけ。「『ほうらい丘』は降りたらここ(ほこら)しか行けへんのですよ。山の中に入っていってしまうんで」と鈴木さんは説明する。所々がこけむしたほこらの上部には「霊窟」の文字があった。足を踏み入れると、空気がさらに冷えたような気がした。

 霊窟の内部は、約250体の石仏が壁沿いにずらりと並んでいた。言い伝えによると、この石仏は、織田信長の比叡山焼き打ちの犠牲となった人々の霊を鎮めるため、地元住民らが刻んで山麓一帯に安置した地蔵とされる。坂本ケーブルの建設工事の際に発見され、「放っておけない」と霊窟を造ったという。霊窟の外にも、多くの石仏が並んでいた。よく見ると、石仏は1体1体、様相が異なっている。死者一人一人を丁寧に弔うためだったのだろうか。

 上りのケーブルカーに乗り込み、もたて山駅を目指す。ほうらい丘駅を出ると、線路は急勾配になった。トンネルを抜け、橋りょうを通過し、ケーブルカーは左右に揺れながら進んでいく。青く広がる琵琶湖を車窓から眺められる場所もあり、乗客たちがカメラを向けていた。

 「土佐日記作者 土佐の国司 紀貫之の墳墓所在地」。そう記された標識が立つもたて山駅に着いた。もたて山駅から道なりに約15分歩くと、紀貫之の墓があるという。鈴木さんの後を追うようにして山道を登った。山道とはいえ、幅が広く勾配も弱いため、比較的歩きやすく、子どもも楽しく散策できるのではないかと感じた。

 防寒のために厚手のセーターにマウンテンパーカを羽織った服装で向かったのだが、標高600メートルを超えるもたて山駅周辺はケーブル坂本駅周辺より気温が低く、想像以上の寒さに顔や手が痛くなった。

 息が上がり、体がぽかぽかと温かくなってきたころ、見晴台が現れた。「今は木が茂って何も見えへんのですけどね」と鈴木さん。元々は坂本地区の町並みや琵琶湖を見通せるのだが、確かに今は木々しか見ることができなかった。

 見晴台のそばに立つ1本の木が真っ赤に色づいていた。周囲の木々はまだ青い。毎年、この木が真っ先に色づくのだという。見晴台に上ると、燃えるような紅葉を間近で観察できた。

 さらに山道を進むと、開けた場所に墓と石碑が立っていた。土佐日記の作者であり、古今和歌集の選者でもある紀貫之は生前、琵琶湖を望むこの場所を愛し、死後、埋葬してもらうことを願っていたと伝わる。毎年、4月と8月に紀貫之ゆかりの高知県南国市から人々が参拝するという。

 紀貫之が愛した場所からは今も琵琶湖や大津市街地を望むことができ、歩き疲れた記者の心も癒やしてくれた。

 もたて山駅へ戻り、ホーム設置のインターホンで駅員に乗車を告げる。やって来たケーブルカーに乗り込むと、現実世界に戻ってきたような不思議な気持ちになった。もたて山駅とほうらい丘駅。どちらも確かに「秘境駅」だったが、雰囲気は全く異なっていた。

 坂本ケーブルは12月6日までの土日祝日、夜間運行を実施している。終点「ケーブル延暦寺駅」の展望スポットから夜景を楽しめるほか、ほうらい丘駅で下車して霊窟を参拝することもできる。鈴木さんは「霊窟は坂本ケーブルで一番厳粛な場所で大切にしているところです。夜にお参りするのは勇気がいるかもしれませんが、いつもより厳かな雰囲気を味わってほしいです」と呼び掛けている。

 上りは午後6時~7時半、下りは午後6時半~8時。往復1660円。問い合わせは比叡山鉄道077(578)0531。

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