「ももが旅立ちました」東日本大震災で起きた原発事故周辺で保護された猫、虹の橋を渡る…「温かいお家で幸せだった」

渡辺 晴子 渡辺 晴子

「我が家のももが旅立ちました」

2011年3月11日に発生した東日本大震災の原発事故が起きた福島県双葉郡浪江町からレスキューされた、茶白のももくん(雄)。12月16日の朝、虹の橋を渡りました。推定15~20歳。飼い主で、東京を拠点に動物愛護ボランティアとして活動している高沢守さんは、ももくんの“死”をX(旧Twitter)で報告しました。

「数日前から突然何も食べなくなり飲まず食わず。点滴もしましたが今朝旅立ちました。老衰だったのかな。ももと過ごした13年は忘れません。これから火葬してあげます」

ももくんが高沢さんのおうちにやって来たのは、20011年秋頃。震災後、浪江町で残された猫や犬たちを保護していたという茨城県つくば市にある動物愛護団体「CAPIN CAT&DOG」(理事長・鶴田真子美さん)がレスキューした猫でした。

「原発事故が起きた3月から浪江町の人たちも避難し、震災後、福島には家畜を含めた犬猫など十数万の動物が残されていたといわれています。動物たちがご飯を食べられず放浪していたところを、ボランティアが駆け付けて、保護できる子を保護していたんです。『CAPIN』さんは、各避難所に行って『ペットなどを残されてきた方はいらっしゃいませんか…』と呼び掛けヒアリングしてから現地に行ってレスキューしていたそうです。それから、茨城のシェルターに連れてきて一時保護。当時猫は50匹くらいいました。その中に、ももがいたんです」

浪江町から保護された猫とボランティアの出会いとは

高沢さんは、茨城のシェルターで週1回ボランティアをやっていたとのこと。そこで、ももくん(当時、2歳くらい)と出会いました。

「その日はいろんな子たちが収容されてきて、大変な状況だったんです。その中で、ももと、もう1匹あめ(雌)という子がいました。この2匹は、とても人懐っこかったので目を引きました。シェルター内で、昼間はフリーにしていたんですけと、ボランティアが帰る頃は、2段ケージの中に入れていたのですが…入れると2匹がものすごく鳴き始めるんです。自分が帰る時もすごい鳴かれて、毎回後ろ髪引かれる思いで帰宅。そのうち、2匹を自分の家に連れて帰ろうかなと思うようになりました」

お世話を終えたボランティアたちが帰る際に鳴き始めるという、ももくんとあめちゃん。「CAPIN」から許可を得て、高沢さんのおうちにお迎えしました。ももくんととあめくんは兄妹ではなく、それぞれ保護された場所は何キロも離れた場所。シェルターでとても仲が良かったため、2匹同時に引き取ったといいます。

「もももあめも、最初からべったりで家にもすぐになじんで。他にも自宅には猫5匹いたので離して面倒みようかと思って、別に2匹の部屋をつくってあげたのですが…冬に近かったこともあり、こたつを準備したところ、他の子たちと一緒にこたつで寝たりしていました」

そして…おうちにやって来て間もない頃のこと。一日中鳴いているももくんを目撃したという高沢さん。ももくんは鳴いているとはいっても、全く悲壮感がなく何かを求めながら鳴いているような素振りだったとか。

「ももは、よく鳴きました。食べ物なのか何かを求めているような鳴き方。被災後に空腹になりながらもさまよっていた経験があるからかなのか…実際のところは分かりませんが」

そんなももくんでしたが、新しい猫たちが高沢さんのおうちにやって来ると威嚇していたとのこと。ただ1カ月もすると仲良くなっていたという社交的な猫さん。またマイペースで誰が来ても何事も恐れない、動じない子だったそうです。

また一緒に引き取られたあめちゃんもももくんと同じくらいのシニア猫。高齢で少し痩せていますが、今も健在でももくんの分まで生きています。

  ◇  ◇

今回の投稿には、ももくんの死を悼む人たちからたくさんのコメントが寄せられるなど話題になりました。

「ももちゃん、福島では想像つかないほど怖い思いしたんだね。その分、新しいおうちでは幸せいっぱいだったよね。お疲れ様でした。」
「ご冥福をお祈りいたします 高沢さんに出会い、幸せな猫生を過ごされたと思います。ご苦労様でした。」
「原発地域から救われ温かいお家で幸せだったと思います」
「どうぞ安らかにお眠りにください。」
「ももちゃんとの思い出を大切に、これからも頑張ってください。」

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