兵庫県に住む女性は、今も、14年前に69歳の若さで亡くなった母の誕生日を祝っています。最初の頃は白いカーネーションを仏壇に。今は子どもと一緒にケーキを買って。母は女性の結婚直前に突然倒れ、入籍翌日、その報告を待っていたかのようにすうっと息を引き取ったといいます。ですから孫の顔も知らず、子どもたちも祖母を知りません。それでも子どもたちは「おばあちゃんに会いたかったなあ…」と言ってくれるそう。「子どもとケーキを食べながら、『パパとママをさかのぼったらいっぱいの人がいるんだよ』と話したり、母は孫に会えたらどんな笑顔を見せてくれてたかなあ…と、思ったり」
「友人には『亡くなった人の誕生日を気にするの?』と不思議がられるんですけどね(笑)」と女性。「皆さん、どうしてるのかな、と思って」と神戸新聞の電話投稿欄「イイミミ」につぶやいたところ、「私も誕生日と命日はお祝いしている」「悲しみもあるけど、残った者も元気にしているよ、という思い」「母の誕生日には、赤飯を炊きます。その月が近づくと待ちわびて、母を思い出すのもいいかな、と」という反響が続々と寄せられました。
一方で、「死んだ子の年を数えるな」ということわざや、「魂が成仏できないから」と誕生日をお祝いすることに否定的な声や動画も。実際どうなのか、お坊さんたちに聞いてみました。
亡くなった人を想う気持ちこそが大切
日本で最も信者が多いとされる浄土真宗本願寺派。2年前の北海道胆振東部地震で大きな被害を受け、犠牲者の供養を続けているむかわ町の法城寺住職、舛田那由多さんは「一般的な仏教の考え方では、人が亡くなる→霊(魂)→49日後→仏(成仏)となるのですが、浄土真宗では亡くなった瞬間に仏になる(往生即成仏)としています。ですから、霊になる期間が無いため、『成仏できない』ということはあり得ません」とし、「ですから、ご遺族が良いと思えば誕生日をお祝いされることは全く問題ありません!浄土真宗では亡くなった後に行く次の世界を『お浄土』と呼びますが、ご命日は『お浄土』に生まれた誕生日という言い方もするんですよ」とも。
京都府の興法寺(真言宗)の住職、中村光観さんも「高野山では『青葉まつり』といって、お大師様の生まれた6月15日をお祝いして法要やパレードをしています。亡くなった方の菩提を弔うことと、『生まれてきてくれてありがとう、そのお陰で今の私があります』という感謝の気持ちと、両方の思いを満たすことは何ら問題ありませんし、亡くなった方のことを思い、成仏を願う気持ちこそが、故人の魂を極楽に導くのだと思います」と話します。
「誕生日を祝わない方が…という人がいたり、伝承があったりするのは、おそらく『悲しみを乗り越えて前に進みなさい』という、残された人を思いやっての言葉だとは思います。ただ、故人の誕生日を祝うことで、故人はもちろん、お祝いをしているご本人こそが救われ、気持ちの整理や心のよりどころにし、つらさを乗り越えている部分もおありかと思います。命日とはまた違って、誕生日をお祝いすることで、良い思い出が残っていくこともあるのではないでしょうか」とも。
ただし、「『仏教』といえども宗派によって考え方が違いますし、一括りにはできない」と法城寺の舛田住職。「もし気になるようでしたら、自分の宗派はどうなのか?というのを調べていただけたらと思います」と話してくれました。