贈与とは本来なにか…見返りを期待するのは不純という人もいるけど、昔からそんなものだったよね?

北御門 孝 北御門 孝
贈与とは本来どういうものなのでしょうか…(image360/stock.adobe.com)
贈与とは本来どういうものなのでしょうか…(image360/stock.adobe.com)

民法第549条「贈与は、当事者の一方がある財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾することによってその効力を生ずる」とある。「双務契約」である。また、「贈与税」についての規定は「相続税法」に定められている。贈与税は相続税を補完する目的で設けられているからだ。

相続税の節税のために生前贈与が実行されるのは紛れもない事実だ。納税額を抑えるための親の財産の渡し方・貰い方として贈与を利用するわけだが、一応お断りしておくと筆者は相続対策の最重要課題は「節税」よりも「分割」だと考える。節税メリットを享受するしくみはこうである。贈与税の税率は相続税の税率よりも相対的に高く定められている。従って一度に高額の贈与を行うことは節税にはならない。贈与税が相続税の補完目的で設けられている所以だ。

しかしながら毎年、少額の贈与を継続して行っていけば節税のメリットを享受できる。例えば毎年100万円の贈与(基礎控除以下)を10年間実行すれば1000万円の相続財産を税負担なく子や孫に贈与することができる。ただし、10年間お元気であることが要件。もしも、途中で相続が発生、あるいは判断能力を欠いた場合(たとえば認知症)は後見人が必要となり、この節税策は達成できない。(※認知症対策としては後見のほかに「家族信託」の契約を交わしておくことも考えられる。家族信託を使ってこの贈与を実現することも検討の余地がある)

本来「贈与」とはどういうものなのか。少なくとも相続対策のために存在するものではないはずだ。「贈与的ふるまい」の起こりは古代における祝祭の場での「供犠」といわれる。「羊」や「農作物」といった貴重で主要な富を犠牲にして神々に捧げた。贈与には「見返り」が存在しないと考えられており、もし何らかの見返りを期待すればそれは「交換」である。では、神に捧げた供犠は純粋な贈与であり、全く見返りを期待していないと言えるだろうか。そうとも言えない。それは豊穣に対する感謝であり、また未来に対するご加護への期待が込められており、真に純粋な贈与とは定まらない。このように贈与には、真の贈与である側面と交換的なものを含む贈与の側面が混じり合い、いずれか一方には決定不可能なものと考えられる。

親から子や孫への贈与について当てはめて考えてみるとどうだろう。老後の身上監護や、財産管理への期待、これは贈与者である親からみれば見返りに他ならないし、将来的な納税額の抑制は受贈者で推定相続人である子や孫にとっての見返りになる。しかしながら、古代から贈与とはそういうものであり、見返りを期待している贈与だからといって、必ずしも贈与としての真実味を疑わしいとはいえない。

※参考著書:「贈与の系譜学」湯浅博雄

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