「文化を学ぶならやはり京都です」。日本各地をはじめ、世界を行脚してきた「出張茶事料理人」の半澤鶴子さん(77)は、そう言います。数年前にはドイツや日本各地を旅し、先々でお茶や料理をふるまう様子がテレビで放映され、話題となりました。そんな半澤さんが、今年から京都に新たな拠点を構え、活動を始めました。半澤さんに京都で活動する理由や京都の魅力、そしてコロナ禍でもお茶を続ける理由を聞きました。
-なぜ今、京都に拠点なのですか。
「文化を学ぶには京都の空気を吸わないと分からないことがあります。京都の街には歴史が凝縮されており、地名や通りの名前一つ取っても、500年ほどの歴史を感じることができます。また、京都は山の風情もどこか優しい。京都ではぐくまれた和歌などの文化も、そうした雰囲気を反映しています」
-半澤さんは、これまでにも京都では教室を開いてきました。新たな拠点に選んだのは築約80年の民家ですね。
「京都では修学院(左京区)や龍安寺(右京区)の近くなどで教室を開いてきましたが、お道具を置いておけなかったり、炭を使えなかったりする場所もありました。ここなら道具も置けますし、炭を使うことも大丈夫です。(教室参加者が)自分の家と思って使ってもらえます」
-左京区八瀬は市街地から少し離れ、三千院などのある大原にも近い比叡山のふもとの地域です。地域を流れる高野川に多くの瀬があったことからその名が付いたとされます。
「八瀬には導かれたと思っています。教室の参加者で近くにお住まいの人がおられて、空き家になっていると教えてもらいました。ここは川と山に挟まれた場所で、『気』が満ちているように感じます。そうそう、1月にここを拠点にし始めたころ、近くの川でオオサンショウウオを見ました。『よろしくお願いします』とあいさつしましたよ」
-民家は「八瀬のまなびや」というそうですね。門出の直後に起きた新型コロナウイルスの感染拡大で、春の教室は休講した時期もあると聞きましたが、現在は感染対策に気をつけながら再開しているそうですね。
「コロナ禍の社会だからこそ、お茶をピュアに見られるのではないでしょうか。生活が大きく変わる中でも、お茶をいただくにはシンプルに水をくみ、炭をおこすことは変わらない。ITが浸透し、スピーディーな時代に逆行しているようですが、時代遅れであることは案外人間に必要なことかもしれません」
-70歳を超えて全国行脚を始め、喜寿を迎えてなお京都に新たな拠点を設ける。その意気は衰えていませんね。
「やり続けてきたことをやって、前を向かないといけないと思っています。やり続けないと文化が(次の世代に)つながらない。可能な限りお茶の楽しみを伝えていきたいです」
◆半澤鶴子(はんざわ・つるこ) 1943年生まれ。保育園勤務を経て30歳で料理講師に。40歳のとき、お茶を楽しむための料理「茶事懐石」にしぼって活動するため、出張料理人に転身。70歳を機に全国を旅しながら料理とお茶をふるまう全国行脚する旅に出る。その様子がテレビで放映され大きな反響を呼ぶ。現在、関東では千葉県東金市で茶事教室「自蹊庵(じけいあん)」を開く。