「兼高かおる 旅の資料館」が2月28日で閉館 今一度、兼高さんの魅力と想いを

國松 珠実 國松 珠実

 35年前、兵庫県淡路島に誕生した『兼高かおる旅の資料館』が、今月28日で閉館すると聞き、訪れてみた。

 兼高かおるさんは、1959年から90年まで約30年続いた紀行番組、『兼高かおる世界の旅』で広く知られた人だ。神戸出身のジャーナリストで、1958年にスカンジナビア航空主催の世界一周早周りに挑戦。当時のプロペラ機で日本人初の早周りを達成したのを機にラジオ東京(現TBS)の『世界飛び歩(あ)る記』に出演して体験を語り好評を得、翌59年に同局のTV番組『世界飛び歩る記』に出演。それが『兼高かおる世界の旅』となる。彼女が訪れた国の映像を前にご本人が解説する。聞き手の芥川隆行さんとの絶妙な掛け合いが人気だった。この番組を見て海外に憧れた子どもも多く、また「~でございましたのよ」という兼高さんの上品な言葉遣いや、快活な話しぶりも魅力だった。

 「あの番組クルーは4人。兼高さんとコーディネーターのデビット・ジョーンズさん、あとTVカメラマンと僕」と笑顔で懐かしむのは、カメラマン兼アシスタントで同行した斉藤道宏さんだ。撮影期間は1カ月で、30分番組7〜8本分を撮る。照明やカメラ機材、1カ月分のフィルム等で1個30kgもの荷物を10個以上運んだ。帰国後は編集、ナレーション入れ。兼高さんと芥川さんは親しい仲で、それゆえまるで彼女をからかうように想定外の質問を投げてくる。「もう!」と下で彼の足を小突きつつ、兼高さんは2日ほどかけて下調べを行った。終えるとまた海外へ。年6回旅へ出ていた。斉藤さんはもう一人のアシスタントと交代で旅へ出たが、日本ではひたすら番組の仕上げ作業を行った。1500本ほど仕上げたという。

 兼高さんは、新人だった斉藤さんに旅の仕事のすべてを教えたそう。とにかく仕事に厳しく、チャキチャキと、そして堂々と先頭でいく人だったという。ある時、ケネディ大統領を訪問した。事前に会えないと断られていたが、交渉し彼の執務室だけでもと見学中、突然大統領本人が入室。3分間の対談が実現した。「繊細で、でもここぞという時の押しの強さと、強運の持ち主でした」。反面、初めて北京ダックを目にした斉藤さんに、一番おいしいのよとパサパサした腹の肉を食べさせ、自分たちはこんがり焼けた皮を食べてしまう。「可愛らしく茶目っ気のある人で、楽しく刺激的な体験をさせてもらった」と懐かしむ。

  館内には、150カ国以上を訪れたという現地での撮影の様子や編集室のジオラマ、写真パネル、そして兼高さんのコレクションの数々が展示。アフリカ象の足のテーブルや、煎じて精力剤として飲まれたサイの角、ダチョウの卵で作ったランプなど、今ではめったにお目にかかれない珍しい物もある。特に兼高さんは、民族衣装を着た人形たちがお気に入りで、展示にはライトの当て方、顔の向き、立ち位置にミリ単位までこだわった。そもそもこの資料館は彼女自身がキュレーターとなり、「自分の仕事をキチンと伝えるには、どのような展示方法がベストか」と考え構成したもの。撮影当時からリポーター役と、企画するプロデューサー役、ディレクター役もこなしていた彼女だからこそ、資料館も自ら手がけた。

 今では消滅した地域の祭りで使った道具や、少数民族の貴重な民芸品もある。「兼高さんは、生前よく“自分はただ珍しいものを求めてその国を訪れ、撮影しているのでない”と言っていました。例えばその土地で収穫した物を食べたり、作られたものを観察したり、その土地に住む民族を表現した人形を手に取る。すべての物事の背景に、なぜそれが生まれたか、また作られたか。すべてに物語と意味が秘められている。私たちはそれを学びに行き、それを知らなければいけないと繰り返していました」。

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