闘将が逝って2年。2018年1月4日にすい臓がんのため逝去した星野仙一さんは、きょう三回忌を迎える。がんが発覚したのは16年7月。親しい友人にも告げず、人知れず病魔と闘った星野さんのそばには、いつも一匹の犬がいた。闘将に寄り添い、癒やし続けた豆柴・豆太は、星野さんが弱音を吐ける唯一の存在だったのかもしれない。
星野仙一さんがすい臓がんの告知を受けたのは2016年7月。前月に兵庫・芦屋の新居に引っ越し、犬を飼いたいと言っていたそうだ。実は大の犬好きで、現役時代には柴犬とドーベルマンを飼っていたことがある。ただ、多忙な上に病魔と闘わなければならなくなった星野さんの体調を考慮して、周囲は犬を飼うことを積極的には勧めなかった。
そんな星野さんのもとへ“癒やし犬”が出張サービスに来てくれることになった。豆柴・豆太(まめた)。星野さんの孫の愛犬だ。
星野さんが自宅にいるとき、豆太は孫が住む三重県から車で片道2時間掛けてやって来た。常に寄り添い、時に話し相手にもなっていた豆太。その様子は、個人事務所のスタッフが撮影した写真からもうかがえる。
豆太は三重県の自分の家では庭が居住スペース。家の中には入れない…はずだった。ところが、星野さんが孫の誕生日祝いに訪れた時のこと。「マメの姿が見えない」と家族が探していると、“じぃじの部屋”で豆太をなでながら、タバコをくゆらしていたという。星野さんがこっそりと招き入れていたのだ。
以来、豆太はその部屋にだけ入室を許可された。現役時代は「燃える男」、監督としては「闘将」と呼ばれ、娘2人も厳しく育てたと聞くが、孫と豆太には甘かった。星野さんが来たことが分かると、豆太はじぃじの部屋に一目散に走って行った。
芦屋の家では片時もそばを離れなかった。スタッフが「ふたりの時間を邪魔しないようにしていた」と言うほどだ。そうして豆太の出張サービスは17年12月末まで続いた。星野さんは最期まで弱音を吐かなかったそうだが、豆太には「きょうはしんどい」と言っていたかもしれない。家族やスタッフも知らない、豆太の心の中にだけ残る星野さんの言葉…。
人と犬が見つめ合うと、どちらの体内にも「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンが分泌されることが実験により証明されている。豆太の存在が闘将を癒やし、幸せな旅立ちへと導いたに違いない。