生き残った、街の「時計台」 老朽化で建物解体も、新たな所有者が再利用

樺山 聡 樺山 聡
新しい建物で受け継がれた「ミヨシ堂時計店」の時計(京都市上京区)
新しい建物で受け継がれた「ミヨシ堂時計店」の時計(京都市上京区)

 昭和初期から90年にわたり京都市上京区の千本通今出川東北角で親しまれた「時計台」が、姿を変えて生き残った。元々の所有者である「ミヨシ堂時計店」から別の所有者の手に渡り、老朽化した建物は解体されたが、店主の思いをくみ、新しい建物の外壁に同じ時計が設けられた。街の象徴的な存在が受け継がれ、新たな時を刻み始めている。

 昨年2月。「ミヨシ堂時計店」の店頭に店主名で1枚の張り紙が掲げられた。

 「老い行くミヨシ堂の建物は、商いをさせていただいたわが身と重ね合わさり、限りなく愛(いと)しく思います。人にも健康年齢という時の経過があるように、ミヨシ堂も、その行く末を考えなければならない時が訪れました」と時計台への思いを説明。その上で「朽ちるにまかせることだけは避けたい、凜(りん)として存在感のあるうちにと、方策を探して参りました。しかし、独力でこの建物を守るには限りがありました」と事情に触れながら、時計台に目を向けた人々や地元への感謝の言葉がつづられていた。

 明治創業のミヨシ堂時計店は大正期に千本今出川に移転。1929(昭和4)年に時計台を備えた鉄筋コンクリート造り2階建ての洋館が建てられた。当時の千本通は映画館やカフェなどでにぎわい、「千本の時計塔」と地元で愛された。

 店が数年前に閉じた後も時計は動き続けていた。2016年には、市が街の財産として残したい建築物などを認定する「京都を彩る建物や庭園」に、建築家本野精吾の元自邸(北区)などとともに選ばれたが、土地建物は売却された。

 購入した大阪の不動産会社によると、ミヨシ堂時計店の意向を踏まえ、外壁の時計と店内にあった地蔵を守ることになった。昨年末に完成した新しい建物の外壁に時計を設置した。地蔵は外に新たなほこらを作って残した。建物の1階では現在、コンビニエンスストアが営業している。

 西陣千本商店街振興組合の喜多泰弘理事長(71)は「幼い頃から時計台を見ながら学校に通った。味のある洋館が消えたのは残念だが、千本通の象徴が存続して喜んでいる」と話す。

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