江戸時代中期に京都で活躍した絵師・伊藤若冲ゆかりの「相国寺」(京都市上京区)で、国宝茶碗も出品されている『茶の湯 禅と数寄』展がおこなわれている。
茶の湯や華道、香道などが生まれた、日本文化のビッグエポック・室町時代。その中心となっていたのが、中国からもたらされた最先端の文化や美術品が集まる禅宗寺院だった。
「鹿苑寺(金閣寺)」(京都市北区)を造営した足利義満が創建した相国寺にある「相国寺承天閣美術館」には、室町時代から近世まで、相国寺、金閣寺、銀閣寺などに伝わってきた国宝5点、重要文化財145点を含む文化財が収蔵されている。今回はそのコレクションを中心に、茶の湯をテーマにした展覧会が開催されているのだ。
日本には8点の国宝茶碗があるが、なんとその5点が中国製で、天目と呼ばれる茶碗である。今回出品されているのはそのひとつで、模様の面白さで群を抜く「玳玻散花文天目茶碗(たいひさんかもんてんもくちゃわん)」。室町時代の足利将軍家の茶の湯は、現在の「わびさび」イメージとはまったく違う、貴族的なものだった。道具は「唐物」、つまり中国製が最高とされ、茶碗は逆三角形の「天目」が一般的だった。
「玳玻(べっこう)」に似た色、内側に唐花文。光線によってグレーにも紫にも輝く神秘的な色。当時、磁器を焼く技術のなかった日本で、この複雑な文様の茶碗がどれほど珍しがられたことか。しかし、この派手さゆえ、中国では人気がなかったとの説もある。
その天目茶碗で、当時の貴人はどんなふうにお茶を飲んだのか? 同展に出品されている重要文化財の『羅漢図』を見ると、僧侶が台に茶碗を乗せて出し、茶を薬研ですりつぶし、そこに湯を注いで茶を点てている。相国寺での法会の茶礼には、現在もこのように天目茶碗が使われている。