大阪・十三発祥の人気寿司&和食店「がんこ」。生産者とともに自社で開発したこだわりの寿司ネタなど、「旨くて安い」をモットーに展開している「がんこ」が、どのように発展してきたのかご存じでしょうか。
2023年に60周年を迎えた歴史をたどると、時代を先読みしていろいろな戦略を取ってきた経営テクニックが見えてきます。
母から学んだ商いの姿勢と徹底した市場調査
話をうかがったのは2代目社長の小島達典さん。父である創業者の小島淳司さんの生い立ち、そして「がんこ」の歴史をひも解きます。
創業者の淳司さんは和歌山出身で、6人兄弟の末っ子。実家は雑貨店を営んでいました。早くに父を亡くし、女手ひとつで兄弟を育ててくれた母の手伝いをする中で、商いを学んでいったといいます。
お客さんがきたらすぐに対応できるように食事は立ち膝で食べるほどお客さんを大事にしている母を尊敬していた淳司さん。
泥棒の被害を受けた時は、母から「泥棒が翌日お金を持って買いに来たくなるような接客をしなさい」「泥棒が万引きしたことを後悔するような店を目指しなさい」と驚きの教えを受けたといいます。高校生の頃には店主となり、いち早く“商いのいろは”を学びました。その後、22歳で大学へ進学しますが、都会の様子を学んだ上で起業するための進学だったそうです。勉強そっちのけで淳司さんが行っていたのは商売の市場調査。
いろんな店舗にお客さんがどれだけ入っているか、どこから仕入れているかを徹底して調べ、最終的に商売として選んだのは寿司屋でした。
常識に囚われないアイデアを次々と実行し、繁盛店へ
寿司店に修業に入った淳司さん。一人前になるには5年程度の修業が必要ですが、1年で独立したいと考えます。しかし、当時は皿洗いだけで数年というのが当たり前でした。そこで、閉店後に晩酌する先輩たちの前でこんにゃくをネタがわりに握りの練習を行いました。すると様子を見かねた先輩たちが握り方を教えてくれたそうで、いち早く技術を学ぶことができたのだそうです。
こうして28歳の時に念願の寿司店を、寿司の激戦区である十三にオープンしました。その当時から店名は「がんこ」だったそうですが、大学時代のあだ名から名付けたそうです。
その後当時の寿司店としては異例の戦略を行っていきます。1960年当時、魚の仕入れ値が日々変わるため、寿司店は時価で販売するというのが常識でした。
しかし、「がんこ」では値段を明確にし、定価で販売したのです。そのおかげで店は連日満席になったのだそう。
子どもの頃から雑貨店で働いていた淳司さんは、「商品の値段が分からん状態で売るなんてありえへん」「値段が分からんままやったら安心して食事を楽しまれへん」と考え、定価で販売するために魚市場で働き、1年間にわたりあらゆる魚の値段の変動を調査したのだそう。そしてその価格を平均化して適正な価格を割り出していったそうです。
また、ネタケースもかなり早い段階で導入したそうです。達典さんによれば「元々雑貨店を営んでいたことから商品を見て注文してもらう」という思いから設置したのだろうとのこと。母に叩き込まれた商いの精神が功を奏し、わずか2年後に2号店をオープンしていきます。