川崎市での無差別殺傷事件、東京でのひきこもりの長男の父親による殺人事件と、「ひきこもり」をキーワードとする悲惨な事件が続いています。私の元にも、その影響で、長年のひきこもり当事者やその家族からの相談が続いています。
「8050問題」については、前回の原稿(川崎殺傷事件 容疑者の背景にある「8050」問題)で説明しました。また、このところ様々に報道されています。しかし、この問題の本質と背景、原因をきちんとわかっている人はほとんどいません。それを、今回は書きます。
1991年秋、日本は、バブル経済の崩壊を迎えます。その結果、金融機関の破綻が続き、多くの企業がその活動を縮小し、大不況を迎えました。それに伴い、高校生や大学生の就職も大氷河期を迎えることとなりました。そして、政府は、企業の再生を第一として、それまでの終身雇用制を柱とした就職から、派遣社員や期間労働者などの企業にとっては労働コストの削減になっても、就労する人たちにとっては不安定な雇用を進めていきました。まさに、この時期このような背景の中で、安定した明日を夢見ることのできる就労をすることができなかった人たちが、20代、30代の間は、アルバイトや一時的雇用で、生活をなんとか維持してきました。
今、その人たちの多くが、40代、50代を迎え、キャリアがないことや年齢によって就労機会を失い、孤立しそしてひきこもりとなっています。支える家族がいない人の場合は、多くは、福祉事務所が動き、生活保護からスタートし、その就労を支援しています。しかし、家族がいるケースでは、ほとんどの場合、放置されています。そして、そのような背景の中で今回の二つの事件は起きています。
もし、バブル崩壊後の大恐慌の中で、1929年の世界大恐慌時のアメリカの「ニューディール政策」のような、労働者保護を最優先とする政策がとられていれば、このような事態を招くことはなかったと私は考えています。「8050問題」は、決してだれかがテレビで力説している「不良品」が起こした個別の特殊な問題ではありません。もし、今回の事件の犯人が「不良品」だとしても、それは、政治の無策によって作り出された「不良品」です。作り出さないことも、修理することもできたのです。しかし、政府は、何もしなかった。
私の元には、このような状況の数多くの当事者たちや家族からの相談が続いています。その多くは、明日を求めているけれど、どこに助けを求めていいかわからない人たちです。中には、自分もひきこもりという極限状況の中で、自暴自棄になっていて、何をしてしまうかわからないと書いてくる人たちもいます。政府や各自治体は、速やかに対応すべきです。