血縁だけが「本当」の家族か 共同保育で育った青年のドキュメンタリー映画

黒川 裕生 黒川 裕生
 「沈没家族 劇場版」から。手前の一番左が加納穂子さんと土さん(c)おじゃりやれフィルム
 「沈没家族 劇場版」から。手前の一番左が加納穂子さんと土さん(c)おじゃりやれフィルム

 「うちの赤ちゃんの子守をしてみませんか?」

 1995年、1人の女性が呼び掛けて始めた共同保育の取り組みが、「新しい家族の形」として注目を集めた。最終的には3組の母子と数人の若者が1棟のアパートで共同生活し、ほかにも多くの「保育人」たちが頻繁に出入りするという他に類を見ない子育て環境、人呼んで「沈没家族」に。このちょっと不思議な家族の中で育った24歳の男性が、中心人物である母親をはじめ、当時この取り組みに関わった人たちを取材したドキュメンタリー映画「沈没家族 劇場版」が関西では5月から公開される。監督の加納土(つち)さんは「見た人が自分の家族について語りたくなる映画になっている」と話す。

 「家にはいつも何人か大人がいて、誰かしらお酒を飲んでいた」

 「朝起きてランドセルを枕にして寝ている大人がいても、気にしないでそれを引き抜いて登校した」

 「自分と遊んでくれる人もいれば、部屋の隅っこで一生懸命漫画を描いている人もいた」

 「運動会の観覧席が“団体”だった」

 土さんの幼少期の「家族」の記憶はこんな感じだ。

 赤の他人と共同で子どもを育てる試みを始めたのは、土さんの母の穂子(ほこ)さん。穂子さんは1994年、22歳のときに未婚で土さんを産み、駅前などでチラシを配って共同保育の参加者を募った。なぜ共同保育をしようと思ったのか。穂子さんは当時発表したエッセイにこんなことを書いている。

 「やっぱり自分のやりたいことをやれる時間がほしーい」

 「いろんな人との関わりの中で土が育ったら良いと思うし、私もそういう中で過ごしたい、のだ」

 東京・東中野の小さなアパートで始まったユニークな子育ては評判になり、テレビや新聞にも取り上げられた。1歳ごろから小学2年生までこの家族に育てられた土さんは、3年生になるタイミングで穂子さんと2人で八丈島へ移住。毎日一緒に過ごした人たちのことは、いつしか思い出すこともなくなっていたという。

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