2025年の祇園祭の神幸祭で、約50年ぶりに東山区弓矢町の「武者神役(武者行列)」が復活。今年も、組旗持と鎧を着た武者が八坂神社の神輿を先導して大きな話題になりました。この弓矢町の鎧を修復し、11月23日に開催される上賀茂神社『着初式 鎧の儀』も主催する「よろいのや」代表理事であり、「鎧廼舎(よろいのや)」の・鎧司「明珍阿古(みょうちんあこ)」さんにお話を伺いました。
「武者神役(むしゃしんやく)」とは、約450年前の京都の様子を描いた国宝「上杉本洛中洛外図屏風」でも法師武者として描かれている歴史ある祇園祭の役目の一つで、神幸祭と還幸祭で行われていました。しかし、還幸祭は昭和41年(1966年)、神幸祭は昭和49年(1974年)を最後に実施されず、その後は神幸祭に合わせて「武具飾り」として各家庭で鎧を展示するように。
そのようななか、2024年に武者行列の復活を模索する「弓矢組プロジェクト」がスタート。祇園祭に詳しい立命館大学准教授・佐藤弘隆さんの働きかけで、鎧司の活動をサポートする「よろいのや」理事の「京絞り寺田」の寺田豊社長に弓矢町の鎧の修復について打診があり、阿古さんが引き受けることになります。
弓矢町で約50年間保存されていた鎧の損傷は大きく、糸は朽ちていて触るとボロボロと切れてしまう状態だったそう。また、現代の人の体格から考えると鎧のサイズも小さく、そのままでは着られません。町の予算も考え、「まずは大将の鎧を、房は日本茜で染めた糸を使って整えましょう」と、阿古さんは提案します。
一般にも寄付を募り、鎧だけでなく、大将に必要な冑や鞍、あぶみ、烏帽子、装束など一式を揃えて、2025年に武者行列の復活が実現しました。2026年も供奉し、今後も継続される予定です。
弓矢町の鎧修復のように鎧全般の仕事を引き受ける阿古さんが、「鎧廼舎」の鎧司として、夫と鎧をつくる活動を始めたのは約30年前。それまでは鎧が好きなサラリーマンとその妻だった夫婦は、元来凝り性だったこともあり鎧づくりにのめり込みます。
「もっと最高峰の鎧が見たいし、つくりたい!」
そんなときに明珍(みょうちん)家の宗家、第25代目当主・明珍宗恭さんの存在を知ります。明珍家とは、平安時代から継承されている、日本を代表する名門甲冑師(鎧師)および鍛冶師の家系です。
1年をかけてようやく明珍宗恭さんに会うことができ、「じゃあ、(工房へ)いらっしゃい」と言ってもらえたことから、夫婦で平安時代の「大鎧」づくりを教わることになりました。
「先生がつくられる鎧は生きていましたから。その場にもうひとりいるような気配を感じたんですね。つくられてから60年くらい経っていても、本当に艶やかで美しくて。私は先生の鎧を見て、やっぱりこの方についていこうと思いました」(阿古さん)
1998年から師の元で修業を重ねた結果、明珍の名前を継いでも良いと伝えられたのは阿古さんでした。
明珍を継ぐことを許された理由について、「技術はその世界で素晴らしい人を探せばいい。技術ではなく、先生と同じ言葉をしゃべれる、同じ感覚があったからだと思います」と、阿古さんは考えています。
「(妥協して)ここで終わらせるか、(理想の)もっと先まで行くかだと思うんですね。私は最高の職人を集めて、その先へ行きたいの。先生のおつくりになる鎧は本当に美しかったので、私も心から美しい鎧がつくりたい。それだけなんです。
鎧を『美しい』と表現することに違和感をもたれるかもしれませんが、弓矢による一定の作法やルールの下で戦っていた平安時代の鎧は、その美しさこそが強さや財力の象徴でした。美しい鎧を身に纏い、美しさで相手を圧倒して戦わずして勝つ――そういう鎧です」(阿古さん)
阿古さんのつくり出す鎧は、草木で染め上げた糸が織りなす、たおやかなグラデーションが印象的。細部や裏地に至るまで、見えない部分にこそ美を宿らせます。そして一領の鎧は、漆工、革工、鍛冶をはじめとする各分野の最高峰の職人たちの技が集約されて完成します。阿古さんの美学と職人技が響き合いつくり上げられる、伝統技術の結晶です。
「明珍の継承は、自分の生活よりも美意識を優先する。この名の継承は、精神性が高くなかったらできないんですよ」と寺田さん。
約10年前に師匠が亡くなりましたが、明珍の襲名には迷いがあった阿古さん。「私は最高峰の方についてしまったので、それを目指すのは並ではないと思います。いくら襲名を許されても、『はい、わかりました継ぎます』ってそんな簡単なものじゃないと思ったし、とても重く感じました」。さらに、ともに鎧づくりをしてきた夫が7年前に亡くなりました。ショックは大きく、もう続けていくことはできないと思ったそうです。
そのときに、「京絞り寺田」寺田さんや小札の漆塗りを手掛けている「佐藤喜代松商店」佐藤貴彦さんなど、工芸や美術などの京都の企業トップの人たちが、やめてはいけないとサポート。一般社団法人「よろいのや」がつくられ、師匠が亡くなって約5年後の2021年に阿古さんは明珍を襲名しました。現在は、「“美しい鎧をつくりたい”という私の想いで進めばいいと思えるようになった」と笑顔を見せます。
「鎧っていうのは今の時代に必要かって言ったら、うーん…という感じがありますが、日本人としてなくしてはいけないものだと思うので、先生がなさったお仕事を、その想いみたいなものを伝えていきたいと思っています」(阿古さん)
阿古さんのあとにも、その想いは繋がっていくのでしょうか?と伺うと、「こればっかりは、やってくださいっていうわけにはいかないので…。私は明珍の生き方みたいなものと、作品に惚れたわけですから、そういう人が出てくればそうなるんじゃないかしらと思っています。技術というよりも同じ想い。私が最高のことをやっていたら、繋がっていくと思っています」と、力強く答えてくれました。
さらに阿古さんは、日本の文化を残し伝えることにも尽力。「よろいのや」と「鎧着初式実行委員会」が主催で平安期の元服などの儀式を再現した神事『着初式 鎧の儀(きぞめしき よろいのぎ)』を、上賀茂神社で行っています。
子どもを中心に美しい鎧をまとい本殿で参拝、神様のご加護に感謝して烏帽子を授かるこの儀式について、阿古さんは「烏帽子や兜を授けられた凜として清々しいお子様の姿。美しい日本の文化を子どもに伝え残す祈りの儀式なんです」と、想いを話してくださいました。
2026年の『着初式 鎧の儀』は、11月23日午後12時30分から開催されます。
明珍阿古さんの鎧は、この『着初式 鎧の儀』をはじめ、2年に一度「虎屋 京都ギャラリー」で開催される展示会で観ることができます。