先日2月6日、100歳の誕生日を迎えたあとも、舞台で元気にマジックを披露する現役マジシャン・天進斎乱万(てんしんさい らんまん、本名・小野進)さん。戦争、高度経済成長期のビジネス、60歳からのマジック修行など、激動の時代を努力とユーモアで駆け抜けてきた乱万さんに、長寿の秘訣やマジックとの出会いなどについて話を聞いた。
── まず単刀直入にお聞きします。100歳までお元気でいられる秘訣は何ですか?
乱万さん(以下同): 皆さんそう聞くからね、私はいつも「死なんこつ(死なないこと)」って答えているんですよ。そう言うとウケたんです(笑)。 でも、それだけじゃ面白くないから、最近はこう付け加えています。「こけんこつ(転ばないこと)、けがせんごつ(怪我しないこと)、死なんこつ」って。それぞれの頭文字をとると「こ・け・し」。これが長寿の秘訣です(笑)。
── 具体的に何か健康法は実践されていますか?
体操はやっています。特に「一人じゃんけん」ですね。右手がグー・チョキ・パーの順なら、左手はパー・グー・チョキと、一つ遅らせて出していくんです。慣れてくれば頭はいりませんが、混乱するくらいが脳のトレーニングになるんです。あと、腕を「肩前、肩横、肩上、肩下」と順番にあげる体操もしています。これも右腕と左腕で動作を1つ遅らせながらやります。食事に関しては、私はお肉が大好きですね。ステージが終わったらお昼にステーキを完食したり(笑)。毎晩ビールを一缶飲むのも楽しみな日課です。
── 戦時中は海軍と陸軍、両方を経験されたと伺いました。
17歳で佐世保の海軍軍需部に徴用されました。当時は食料事情が悪くて腹が減るもんだから、「南方にいけば食べ物があるだろう」と志願したんですが、私が乗る1週間前に出港した船が機雷でやられて、結局行けなくてね。もし行っていたらみんな死んでいますよね。その後、南方とは反対の上海で徴兵検査を受け、陸軍に入隊しました。 半年間訓練を受け、部隊に配属されたのですが、すぐ終戦になった。あの頃、先輩たちは大変だったようですが、私は運良く第一線に行かずに済みました。帰りは貨物船に乗せられて日本に帰ってきました。
── 材木伐採、運搬業や商事会社を経て、32歳のとき、時計や宝石の販売で独立し成功されたそうですね。
そうそう。昭和33年に独立したんですが、最初は全く売れなくてね、家に帰って妻に「もう無理だ」と言おうとしたら、妻が赤飯を炊いて待ってくれていた。それから奮起して「1日100円、100回払い」という日掛けの分割払いというアイデアを考えついたんです。中古の自転車を買って姪浜や室見を回りました。例えば1万円の時計なら、1日100円を100回払いですから、毎日お金をもらいに行かないといけません。で、行きますと、昨日は断った方がね、隣の人が買ったのをみて私もほしいと。そんなふうにして、どんどん売れていったんですよ。
──マジックを始められたきっかけは?
きっかけは中洲のスナックのママさんでしたね。少し暇とお金の余裕ができた頃、スナックでハンカチのマジックを見せてもらってね。当時はカラオケが流行っていたけど、私は耳が悪くて前奏が聞こえづらく、歌い出しがわからんかった。でもマジックなら声を出さんでいいし、音楽に合わせる必要もない。 これやったら私にもできると思ってね。そこから本でで学ぶなどして、マジックやるようになりました。
── 時計や宝石の外交販売でもマジックが役立ったそうですね。
営業先で子どもがいるとマジックを見せるんです。すると「お母さん、面白いことしよるよ!」ってお母さんを呼んできてくれる。「あんた何を売るんね?」「宝石ですよ」と。そうやってマジックをきっかけに時計や宝石を買っていただくこともよくありました。他の時計屋さんはお客さんをただ待っているだけだったけど、私は外へ出ていって、散髪屋さんとか果物屋さんとか商売しよるところによく伺っていましたね。ある時、果物屋さんに行ったら、箱からりんごを出していて「忙しい」と。そんな時は品出しを応援してね。それで終わって「あんた何しよる人?」というので時計を見せると、見ればやっぱり欲しくなる。そんなふうにして営業をしていましたね。
── 60歳でマジックを本格的に取り組まれ、初めてのステージは70歳のときだったとのこと。
誘われてマジックのクラブに通い、自分でも本を買うなどして独学でいろんなマジックをするようになりました。初舞台は(女性の体の)胴体切断でしたね。そういうのもできるようになりました。
──いま、マジックのレパートリーは200ほどあるとか。
なんでもかんでもマジックにしますからね。自分で考えて作ることもある。しかしね、どんなマジックでも、芝居はなんでも同じでしょうが、根幹があってね、それに自分の考えを加える。全く新しいものというのはなかなかできません。あとは、ユーモアを混ぜた話術をするようにしています。
──80歳のころ、NPO法人「博多笑い塾」に入塾されました。以来、敬老会、高齢者教室などでマジックショーを披露され、今も月に1、2回、ステージに立っておられます。ここまでマジックを続けられた理由は?
それはお客さんがやっぱりおるからですね。町内会の方とか観客が喜んでくれれば、やっぱり自分も嬉しいわけですよね。いろいろ一生懸命やっても拍手ひとつなければ張り合いがないでしょう。帰りがけに「握手してください」と言われるのはやっぱり気持ちいいですね。マジックを始めたころ、カラオケが流行りよったけど、歌う部分の字幕の色が変わるようになってはじめてちょっと歌えましたが、「音痴になっとるよ」と言われたこともありました。耳がもし良かったら、マジックはしてないってことです。障害があったからこそ、マジックに出会えたんだと思います。
──乱万さんが大切にしてこられたことは何でしょう。
人間に運っていうのはありますが、待っていても運は舞い込んできません。そこで努力(工夫、行動)ですね。人間すべからく努力が大事。運は自分で開くもんであって、人から与えられるもんじゃない。
── 最後に、これからの目標を教えてください。
100歳を目標に体力を保たないとと気を張って努力してきて、この前、誕生日で人生の一区切りを迎えられたので、いまはホッとしてゆっくりしようという気持ちです。コロナが収まったあたりから、目に見えてだんだん体力が衰えてきてね。最近は、足がこんなに弱るもんかと…。でもやはり常に目標を持たんとね。ステージでずっと立ちっぱなしはきついので、これからは車椅子に座ってできるマジックを考えています。100歳をひらがなで書くと「ひゃく=飛躍」。だから今年は飛躍の年になるって思っているんですよ(笑)。