女優・吉高由里子が主演で平安時代を生きた紫式部を演じるNHK大河ドラマ「光る君へ」。第5話の冒頭で五節の舞の翌日、寝込んでいるまひろ(吉高さん)のもとに僧侶と赤い袴の女性がやってきて祈祷するシーンがありました。
僧侶はまひろの弟藤原惟規の乳母から母が亡くなっていることを聞き出し、女性に母が乗り移って語りだし、成仏していないので不動明王の真言を唱え、水垢離をするよう指示して帰ります。
この祈祷は「憑祈祷(よりぎとう)」といい、僧侶が「よりまし」に神霊等を乗り移らせ、正体を語らせた後に調伏する密教の修法です。今回は、このような「よりまし」を用いた修法についてみていきます。
お笑いトリオ「ロバート」の秋山竜次さんが演じる藤原実資の日記『小右記』長和四年(1015)年五月には、三条天皇の眼病の際に、次の記事が記録されています。
〇五月二日条
壇々御修法の律師、御加持の間、御前に候ずる女<民部掌侍。>、両手、振動す。已に邪気に似る。昨、御目、頗る宜しかるも、今日、猶ほ例のごとく不快。
(僧侶の加持祈祷の際に、民部掌侍という女房に「邪気」に似た霊が乗り移り、両手が振動した。)
〇五月四日条
主上の御目、冷泉院の御邪気、為す所」と云々。「女房に託し、顕露す。申す所の事、多し」と云々。「人に移す間、御目、明るし」と云々。
(三条天皇の眼病は「冷泉院の御邪気」が原因であるということが、「よりまし」の女房に乗り移らせることで明らかとなり、その時は天皇の目の具合が良くなった。)
〇五月七日条
律師心誉、女房を加持す。賀静・元方等の霊、露はれて云はく、「主上の御目の事、賀静の為す所なり。御前に居るに、翼を開く時には御目を御覧ぜざるなり。但し御運、尽き給はず。仍りて御体に着さず。只、御所の辺りに候ず」と。
(心誉が女房を加持祈祷したところ賀静・(藤原)元方等の霊が乗り移り、次のように語った。賀静の霊が翼を開いている時は天皇の目が見えない。そして、霊は天皇の体に着くのではなく、御所の辺り存在しているようである、と。)
〇五月二十二日
陁観の霊、民部掌侍に託す。即ち民部の子童を打ち調ず。主上、童を抱へしむ。霊物、忿怒して、童を踏み打つ。蔵人親業、取り離す。
(陁観(高階成忠)の霊が民部掌侍に乗り移り、童を打ち、踏みつけた。天皇は童を抱きかかえ、蔵人が取り離した。)
心誉は天台宗の僧侶です。天皇の側に仕えている女房が「よりまし」となり、霊の言葉を語っています。トランス状態になった「よりまし」は子どもに暴力をふるうこともあったことがわかります。
この時代の貴族社会では、病気や出産に際し、密教僧の祈祷が重視されていましたが、「憑祈祷(よりぎとう)」は、天台宗の験者が得意とする修法でした。『紫式部日記』の中宮彰子の出産の場面にも、「憑祈祷」について生々しく記されています。また、『源氏物語』の葵の上の出産にも「憑祈祷」が描かれています。今後、物語のなかでどのように映像化されるでしょうか。古記録、物語の記述とあわせて見ていきたいものです。
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神と霊が照射する古代の人々の心を「怪異学」の視点で研究する園田学園女子大学学長の大江篤さん。「怪異学」とは、フシギなコトやモノについての歴史や文学の記述や記録を解読することで日本人の心の軌跡にアプローチする研究分野です。研究者が見る「光る君へ」論を寄稿してもらいます。