【大河ドラマ「光る君へ」コラム】当時の京都は「闇の世界」? 僧侶や陰陽師が活躍 小さな橋に残るいくつもの伝説

大江 篤 大江 篤

女優の吉高由里子さんが主演を務める2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。平安時代を生き、現代でも読まれ続けるベストセラー「源氏物語」を書き上げた紫式部を主人公に、彼女の作家人生が描かれます。

1月7日の放送開始を前に、舞台となる当時の京都・平安京についてお話します。

京都は「闇の世界」だった?

京都は、794年(延暦13年)から明治維新(1868年)まで千年以上にわたって都でした。「古都」「千年の都」「宮廷文化」というように平安時代と結びついた雅なイメージがあります。一方、「魔界」「異界」など闇の世界を強調されることもあります。それは、この都の始まりとここで暮らした人々の営みの厚みと深さからくるものです。

平安京への遷都の理由の一つに、実弟の早良親王(皇太子)の藤原種継暗殺事件にまつわる壮絶な死に悩まされた桓武天皇の想いがありました。早良親王は、死後、その霊が「祟る」と占い師に認定され、現存する記録のなかで最も古く「怨霊」と記録された人物です。この都では、この世のものではない怨霊や鬼、天狗等が語られ、それらの正体をつきとめ鎮める僧侶や陰陽師が活躍しました。現代の京都には、彼らにまつわる場所がいたるところに残っています。

例えば、平安京の北の端にかかる「一条戻橋」には、不思議な話が伝わっています。延喜18年(918年)、文章博士三善清行の子で天台僧の浄蔵が熊野参詣の帰路、この橋で父の葬儀に出会いました。浄蔵は嘆き悲しみ、棺にすがって仏に祈ると、清行は蘇生したといいます。死者があの世から「戻る」というこの橋の名の由来譚です。

また、陰陽師・安倍晴明は十二神将を式神として使役し、屋敷の中に置いていましたが、彼の妻がその姿を怖がったので、晴明はこの橋の下に置き、必要なときに召喚していたといいます。さらに、酒吞童子の物語で有名な源頼光の四天王の一人として知られる武将、渡辺綱がこの橋の上で鬼女と出逢い、名刀・髭切りの太刀で鬼女の腕を切り落とすという伝説も残されています。

このように、平安京のはずれにある小さな橋を舞台に幾重にも物語が語られているのです。このコラムでは、紫式部の物語を通して、都の古層に潜む光と影について考えてみたいと思います。

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神と霊が照射する古代の人々の心を「怪異学」の視点で研究する園田学園女子大学学長の大江篤さん。「怪異学」とは、フシギなコトやモノについての歴史や文学の記述や記録を解読することで日本人の心の軌跡にアプローチする研究分野です。研究者が見る「光る君へ」論を寄稿してもらいます。

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