パエリア世界大会で優勝!味の決め手は…意外な「あの日本食材」、波瀾の修行経て京都のシェフが快挙

京都新聞社 京都新聞社

京都市中京区のスペイン料理店「estilo h(エスティーロ・アチェ)」のシェフ畑下公平さん(39)が、9月にスペイン・バレンシアで開かれたパエリア世界一を決める「第4回ワールドパエリアデーカップ2023」で優勝した。日本人初の快挙だ。

京都の味覚を代表するハモのだしを使うなど、独創性に富んだ「畑下スタイル」を貫き、栄冠に輝いた。祖父の「卵焼きめし」が料理人人生の原点となり、心が折れそうなほど厳しい修行時代を経て、「絶好調」という今に至る。

世界一の称号を得て、パエリア普及の重い役目も両肩にかかってくるが、「愛を込めて、最高のパエリアを1枚1枚大切に焼いていくだけ」と自然体だ。

 京都府大山崎町出身。料理人の種をまいてくれたのは、「園部のじいちゃん」こと、京都府南丹市園部町で暮らす祖父の下西悌二さん(92)だ。小学生のころ、卵だけを具材にした「卵焼きめし」を作ってくれた。

卵がコメをふわりと包み込む味わいが記憶に残る。「僕はすごいおじいちゃん子。卵焼きめしはめちゃくちゃおいしかった。今も作るが、まだ追いつけない。料理の原点」と表情を崩す。

父方の祖父(故人)は海が近い和歌山県那智勝浦町で暮らし、行くたびにアワビやマグロ、伊勢エビ、カキなどをたらふく食べさせてくれた。「おやつがサザエのつぼ焼きだった」と振り返る。幼い頃から食の英才教育を受けていたようだ。

料理人らしいエピソードには事欠かない。幼稚園の時、ホットケーキを作り、きれいにホイップを乗せているうちに、他の園児たちが、別の場所に用意された畑下さんの分のフルーツまで取ってしまった。「公平くんに分けてあげて」と言われた園児たちは、ケーキの上にフルーツをどさっと乗せてしまい、慎重に重ねていたホイップが台無しになった。

「そんな乗せ方してほしくないねん!と思った。その時から料理人っぽかったのかも」と笑う。

学校の調理実習では、「俺は周富徳や~」とテレビでおなじみの料理人の名を叫び、フライパンを振った。

自然と調理の道へ進み、21歳で和食とフレンチの融合が特長のレストランへ入った。

しかし、洗礼を浴びる。始発電車内で必死に料理本を読んで朝のまかないを用意しても、先輩は手を付けることなく、これ見よがしに卵かけごはんで食事を済ました。「しゅんとしましたね」。ミスをすると、熱い油を飛ばされ、蹴りが直撃した。料理人を辞めようかと考えた最初だった。

それでもめげなかった。先輩がいないすきにタイやハモをがんがんさばいた。うまくできるはずはなく、ぐちゃぐちゃの仕上がりになる。先輩に「触るな」と激怒されても無視した。「さばかれたくないなら、僕より早く(調理場に)来たらいいじゃないですか」と切り返す図太さがあった。

30代になった頃に2度目の底がやってきた。イタリアンの料理を単品で出す店の料理長に就いた。それまでコース中心の料理でキャリアを積んでいた。単品とコースでは、似た料理でも味付けが全く異なる。現場に影響力を持つ年上の料理人は、自分が作る料理に「これはあれやなあ」などと必ず小言を言った。

次第に自分の味が分からなくなった。野球のピッチャーが投球フォームを見失って、ストライクが投げられなくなる「イップス」のような状態だ。「ごはんを食べても砂をかむよう。ストレスで耳も聞こえにくくなった」と話す。それでも、職場には意を決して足を運んだ。「家のドアを開ける前に『よしっ』と気合を入れて」と苦笑する。

その後、宴会担当に配属された。事実上の左遷だったというが、200人分をさばく中で技が向上した。

200人分のうちの1人分の料理でカモのロースを切り間違えたのをそのまま許容した時には、先輩に胸ぐらをつかまれた。「自分にとっては200分の1でも、出されるお客さんにとってはその料理がすべてと思い知った」。雌伏の日々に、腕と心構えを磨いた。

転機は2016年。スペインバルの料理長となり、パエリアと本格的に向き合うこととなった。パエリアという料理が持つ「一発勝負のようなところ」に引き込まれた。難しい分、面白かった。

フレンチや和食との違いも性に合った。独創的な工夫をすると、フレンチなどでは「こんなの違う」と全否定された。スペイン料理の場合、周囲は「めっちゃええやん」と評価した。スペイン料理や、スペイン料理界に息づく進取と自由の気風が自分らしさを生かしてくれると確信した。

スペインでの研さんを経て、20年に帰国。21年10月にエスティーロ・アチェのシェフとなった。エスティーロはスペイン語で「スタイル」、アチェ(h)は「畑下」の頭文字のローマ字から取った。「畑下スタイル」を意味する。

らしさの一端は、パエリアに必ず使うというハモだしにのぞく。徳島産のハモの骨や、昆布などを使って丹念にだしを取る。「主材料の味を邪魔せず、うまみを引き出してくれる」という。

ハモだしをパエリアに必ず使うシェフは「まずいない」という。パエリアの調理に使う特注の鉄のふたは、取っ手がハモの姿というこだわりようだ。

作り手の顔が見える大原の野菜などを愛用し、タケノコは自ら掘りにも行く。鮮度が段違いだという。

作っている様子を楽しんでもらおうと、パエリア用のグリルも、カウンターから見える位置に置いた。こちらも珍しい試みだ。

志向するのは、日本の風土に合わせた、自分だからこそ作れるパエリア。「(パエリアの本場である)バレンシアにはバレンシアの風や光、空気、ほこりっぽいものがあり、それが味を作る。日本では作れない。僕は日本に合わせたパエリアをもっと追求し、本物を目指したい」と力を込める。

国際的な別のパエリアコンクールの日本予選で22、23年と連続で3位に食い込んだ実績に加え、料理人としての情熱や今後の伸びしろが評価され、NPO法人全日本パエリア連盟(東京都)の推薦を得て、ワールドパエリアデーカップ2023の日本代表に選ばれた。

まず、世界から集まった約60人の中から、ウェブでの発信力などを競う予選を勝ち抜いた。

「世界パエリアの日」に定められている9月20日に、パエリアの本場であるバレンシアで開かれた大会では、メキシコやエクアドル、コロンビア、アメリカなどから集ったシェフ12人で腕を競った。

大舞台でも守りに行かず、攻めの「畑下スタイル」を貫徹した。SNSで数万人のフォロワーを持つメキシコのスター料理人と対戦した際に、スペインで人気ながら調理法が難しい「アルブフェラ」というコメを選択。ぶっつけ本番で使ったため、途中、水分が減ってしまい、堅い焼きあがりになりそうだと判断し、本来はあまり薦められない、ハモだしの追加を決めた。京都の夏を冷やす「打ち水をするみたいにかけ、蒸気を発生させて蒸し上げた」という。

難敵を下し、決勝は「鴨とネギ、バレンシアオレンジのパエリア」で挑んだ。しょうゆやユズ果汁などで作ったたれ「幽庵地」につけ込んだカモ肉を用い、相性の良いバレンシアオレンジで味を引き立たせた。

アルブフェラの特性をつかんで水分などを調整して臨んだ結果、「自分でも言うことがないくらいの焼き上がりになった」と振り返る。

京都と日本のエッセンスとスペインの文化とを織り交ぜた自信作で審査発表を待った。3位コロンビア、2位エクアドルと名が呼ばれ、最後は「ジャパーン!」。どきどきする間もない発表で、「わし!?ってなった」と笑う。数百人の観衆から歓声が沸き起こり、地元の新聞記者やテレビ局からコメントを求められた。

制覇したうれしさをかみしめ、歓声を一身に浴びつつ、責任を感じた。「日本パエリア界の顔」といった立ち位置に押し上げられていくのは間違いないからだ。「パエリアの可能性を広げ、普及のために力を尽くさないといけない。パエリアに恩返しをしないといけない」と表情を引き締める。ただ、不自然に力みはしない。「世界一になったからといって気負わず、大切に焼くだけ。料理に愛を込めるという僕の核を大事にして、焼く。愛は味を超えますから」と強調する。

パエリアはみんなでシェアする食べ物。「同じ釜の飯を食う」という言葉がある日本と似通った精神性を持つ食と言える。「パエリアは縁の料理だと思う。パエリアで縁を深め、世界をハッピーにするようなパエリアを作れたら、職人冥利(みょうり)に尽きる」と語る。

孫の快挙に下西さんは「なかなかできんことで、ようやったなと思う。決めたことに向かって、これからも一生懸命やるやろう」と期待を込める。

畑下さんには忘れられない教えがある。12歳の時に、病で亡くなった父典久さんの口癖だ。人と同じことはするな、もっと違う風に考えろ-。これからも、誰も追随できない畑下スタイルを打ち固めていく。「言ってましたねえ。競馬新聞を読みながら」。頂きに立った職人が笑顔をはじけさせた。

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