忌野清志郎さんもお気に入りだった ライブハウスの草分け・ペパーランドが50年 名物主宰者「ここは人生変える出合いの場所」

山陽新聞社 山陽新聞社

 1974年に開業し、国内ライブハウスの草分けとされる「ペパーランド」(岡山市北区学南町)が11月に50年目を迎えた。音楽に限らず詩、映画などあらゆる分野のアーティストに発表の場を提供し、今も岡山の文化芸術シーンをけん引。主宰する能勢伊勢雄さん(76)は「出演者や観客の人生を変えかねないものと出合える場所と信じてやってきた」と振り返った。

 岡山大の西門に続く道沿い。ミュージシャンのポスターやライブのチラシで埋め尽くされた外壁が目印だ。ズシリと重い二重扉を開けると、深い青を基調とした空間。どこかアンダーグラウンドな空気が漂う。

 奥にあるステージは、一般的なライブハウスより低い47センチに設定していると能勢さんは言う。「50センチを超えると、出演者と観客が切れた感じがしてくる。地続きであることが重要なんです」。160人も入ればいっぱいの“ハコ”だが、ロック界のレジェンド忌野清志郎さん(故人)も「ライブ感が違う」と気に入っていたという。新型コロナウイルスの流行前は、音楽イベントだけで年間200組以上が出演していた。

ロールモデル

 開業のきっかけは、1本の映画だった。高校卒業後、大阪で映像制作を学んだ能勢さんは、帰岡して前衛映画やドキュメンタリーを撮ったり、アングラ映画の上映会を開いたりしていた。その中で目にしたのが「ウォーホルEPI」という作品。米ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルのスタジオの一角で、サイケデリックな照明を浴び、バンドやダンサーがパフォーマンスを繰り広げていた。「今で言うミックスメディア。こういう場所を岡山に作りたいと思った」

 フォークソング全盛で、「ライブハウス」の言葉すらない時代。木造の店は喫茶店を兼ね、音楽に加え、詩の朗読や映画の上映、芝居の上演なども行った。当初は奇異の目も向けられたが、支持の輪は少しずつ広がっていった。「岡山のライブハウスのロールモデルを作り上げた」と胸を張る。80年代後半からのバンドブームを受け、現在の姿になって30年ほど。今もジャンルを問わず受け入れる姿勢は変えていない。

文化活動

 壁面には、額に入った1枚の白シャツが飾られていた。ドイツの美術家ヨーゼフ・ボイスから直接譲り受けたものだ。「すべての人間は芸術家である」と語り、社会に機能するあらゆる創造的な活動を「社会彫刻」と呼んだ巨匠。「ペパーがやっているのもそういうこと。人の考えを変え、結果的に社会を変える。ライブハウスの使命だと考えています」

 その思いは、能勢さんが取り組むさまざまな文化活動にも息づく。例えば、40年以上にわたり続ける月に1度の「岡山遊会」。70年代に雑誌「遊」の編集者松岡正剛さんが提唱した「遊学」に共感して始めた深夜の座談会だ。多様な文化を結びつけて考察し、思考を刺激する場として、能勢さんとゲスト、参加者が芸術、哲学、歴史などあらゆるテーマで意見を交わす会は昨年、500回を超えた。

 2010年には音楽、美術など多彩な分野の講座を開く「美学校」(東京)公認の「岡山校」も立ち上げた。写真家による銀塩写真講座のほか、芸術表現、アートマネジメントなどを学ぶ講座を展開。岡山ゆかりの若手美術家に贈られる「I氏賞」奨励賞を受賞した写真家小林正秀さん(43)=岡山県美作市=らを輩出している。

社会的な責任

 社会の変革は人の考えに影響を与え、新しい表現が生まれるタイミングと考えている。ゆえにコロナ禍で文化芸術が「不要不急」と言われても、ライブは止めなかった。「音楽は次の時代を最も早く映す鏡。新しい表現が生まれた瞬間を逃さず捕まえたい。ライブとは『生きている』という意味なんです」

 これからの1年間は、50周年に向けた“疾走期間”と位置付ける。過去の出演者らに積極的な出演を呼びかけ、ベルギーの世界的な音楽・美術スタジオとのコラボイベントも計画する。「半世紀の間、アーティストや観客に生かされてきた。それはペパーの社会的責任にもつながっている。表現したい人がいる限り、歩みを止めることはありません」

 のせ・いせお 岡山市出身。写真、映像、コンセプチュアルアート(概念芸術)、美術展企画を手がけるマルチアーティストとして活躍。2004年には倉敷市立美術館などで多様な文化活動を紹介する個展が開かれた。近年は京都国際映画祭などでの出品や講演も精力的にこなす。撮影、監督を務めた主な映画に「共同性の地平を求めて」、著書に「新・音楽の解読」など。18年に福武文化賞を受賞。

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