「聞いてた割れ方と違う」桃太郎像が話題に 斬新な彫刻の作者はだれ?30年前の作品、知る人がいれば教えて

太田 浩子 太田 浩子

 出張で訪れた岡山市で街歩きをしていた「東京YS(@tokyoYS1963)」さんは、魅力的な桃太郎像を見つけました。真ん中を避けて斜めにカットされた桃の上に、いかにも元気そうな裸の男の子が両手をあげて立っています。

 桃のカットの仕方に注目した東京YSさんは、思わず「聞いてた割れ方と違う」とツイートしました。

 昔話「桃太郎」は、“どんぶらこ”と流れてきた桃をおばあさんが割ってみると、中から男の子が飛び出し、その子が成長して犬・サル・キジとともに鬼退治に出かける物語です。絵本などで桃太郎が誕生するシーンのイラストは、包丁を持ったお婆さんの横で、真ん中から綺麗にふたつに割れた桃の中に桃太郎が立っているものが一般的で、桃太郎が怪我をせずにいることを不思議に思った子どもは多かったのではないでしょうか。

「なるほどこの切り方なら桃太郎は真っ二つにならなくて済むな」

 リプ欄も「安全に出てこられるように配慮した切り方ですね」「なるほどこの切り方なら桃太郎は真っ二つにならなくて済むな」「前から思ってました。普通に割ったら死んじゃうと・・・」などと、桃のカットの仕方に納得したというコメントが寄せられて、1.6万の「いいね」がついています。

 普段から「往時のひとの暮らしや街の活気が偲ばれるような染み込んだような…そんな姿が愛おしく探し歩いている」という東京YSさん。桃太郎像について「初めはピンと来ませんでしたが桃らしき形の上でバンザイしてるので『桃太郎だ!』と。斜めのカットラインも直ぐには理解及ばすでしたが、一見斬新ながらなるほどこれなら辻褄合うわ、みたいな納得感を私も感じました。皆さんの気持ちも惹きつける作者さんの表現力に感動しました!」と話します。

 作者も桃太郎が怪我をしないように考えてカット位置を決めたのでしょうか…ぜひご本人にお話を聞いてみたいと、作者を探すことにしましたー。

 東京YSさんによると、桃太郎像は岡山市北区野田屋町1丁目の飲食店の前にありました。そのお店は、素材と手作りにこだわった岡山料理が評判の料理屋でしたが、惜しまれながら2022年11月末に閉店しています。

 74歳を迎えたことから引退したと話す店主に桃太郎像について聞くと、この場所にお店が移転した1994年に開店祝いとして贈られたものだそう。この桃太郎像は、「岡山市制百年記念事業として桃太郎像の作品を募集して作られた『水辺のももくん』(岡山後楽園外園に設置)の次点の作品で、これを気に入った贈り主が、権利を購入し、岡山県外でブロンズ像にした」と聞いたそうです。ただ作者名を含めて、それ以上は分からないとのことでした。

 そこで岡山市や寄贈したと記録があった団体などに問い合わせましたが、岡山市制100年だった年は、1989年と30年以上前ということもあり記録が残っていません。インターネットもまだ普及していない頃ですから、ネットで検索してもこれといった情報が出てきませんでした。作者は見つけられなかったという記事にするしかないのか…と諦めかけていたとき、岡山県岡山市に本社をおく山陽新聞社が「山陽新聞」の関連記事を見つけてくれました。

「山陽新聞」が過去に掲載した記事を教えてくれた

 1988年7月13日の記事によると、桃太郎像はメルヘン都市岡山の新しいシンボルになるようなものを広く募るために、イメージデッサンによる公募だったとあります。全国から931点の応募があり、10点が入選して模型が制作されました。入選した10名の氏名・年齢・職業・住まいが記載されおり、入選者の半分は10代でした。

 そして1988年8月24日の記事に、最優秀作に会社員の松浦さんの作品が選ばれたとあり、最後まで競った女子中学生の作品に審査員特別賞が贈られたとあります。次点の作品だったという話なら、中学生の作品だったのかもしれないと、もう一度店主にお話を聞いてみると、大学の教授をされていたような話だったことから中学生ということはないだろうということに。

 また、素人では作品の権利を売ることは難しいのではないかという話になり、再度入選者10名を確認すると「彫刻家大桐国光(六〇)=岡山市」の文字に目が止まりました。

 「岡山県立美術館 所蔵作品検索システム」によると、大桐國光さんは兵庫県姫路市生まれの岡山育ちで、「詩情豊かな人物象が高い評価を受ける。後進の指導、育成にも尽力し、岡山彫刻界の発展に寄与した」とあります。美術館が所蔵している作品のほかに、岡山市や姫路市の街中に多数の彫刻が設置されていることもわかりました。しかし、没年2008年とあります。

 これではなぜ桃を斜めにカットした理由どころか、大桐さんの作品だったのかを確認することもできない状態です。藁にもすがる思いで岡山県立美術館に問い合わせたところ、岡山の彫刻に詳しく、岡山大学の名誉教授も務める彫刻家・上田久利さんを紹介してもらいました。

岡山の彫刻に詳しい、岡山大学の教授に聞いた

 上田さんにお話を聞きました。

──桃太郎像の作者について、どのように思われますか?

 桃太郎像の実物を見てきましたが、サインもないですし、いい作品ではあるんですけど、いろいろな人に聞いてもはっきりしたことはわかりませんでした。一方で、「水辺のももくん」を彫刻にしたのは、宮本隆先生(※)だということはわかりました。

 大桐先生は、イタリアで勉強されたのでイタリアの彫刻家の影響も受けられているように感じますし、作品集を見ても洒落た作品が多くあります。今回の桃太郎像も、洒落た感じで造形的な見せ方もよくできています。桃の切り方もシャープで、なおかつ子どもは可愛いらしい。素人ではできない作品です。

──では、大桐さんの作品と考えてもよいのでしょうか。

 お話を聞いて、大桐先生の作品の可能性が高いと思います。なかなかいい作品なので、この記事が出て、それは私が作った作品だと名乗り出てくれる人がいればそれもいいと思いますよ。私も調べてみますけど。

──大桐さんから権利を購入して、ブロンズ像をつくるということはあり得るのですか?

 権利を売られることはあると思います。大桐先生の原型を…たとえばマケット(雛型)をその方が買われて、鋳物業者につくってもらったということが考えられます。原案制作者は大桐先生ということになるでしょうね。後楽園の『水辺のももくん』に大桐先生の作品が選ばれなかったのは残念でしたが、こういう形で岡山の街に残っていることはよかったと思います。

※宮本隆さん:彫刻家。岡山を中心に活動し、多くの屋外彫刻や肖像彫刻を手がけた。岡山大学に新設された教育学部特設美術科の助教授として彫刻の指導にあたり、大桐國光さんも教わっている。

 ◇ ◇

 取材を始めた当初の目的だった「桃を真ん中で割らなかった意図を作者本人に聞く」ことはかないませんでしたが、彫刻の原案制作者は大桐國光さんである可能性が高いことがわかりました。

引退された店舗と桃太郎像は、3月末で持ち主が変わります。愛らしい桃太郎像が今後もこの場所に残り、作者の意図を想像する楽しみが続くことを願います。(取材にあたり、多くの方にご協力いただきました。ありがとうございました)

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