JRが発足して36年 列車本数は増えてる?減ってる? 新幹線、地域輸送に“秘境路線”…当時と現在の時刻表で比較してみた

新田 浩之 新田 浩之

JRが発足して、今年で36年目を迎えました。36年前と比べて列車本数はどのように変化しているのでしょうか。1987年当時の時刻表をめくりながら調べてみました。なお、東海道新幹線を除いて平日ダイヤを参考にしています。

36年前は「こだま」が多かった東海道新幹線

まずは昔も今も「大動脈」の東海道新幹線から。東京駅発10時台の時刻表を見てみましょう。

1987年当時の東海道新幹線はまだ「ひかり」と「こだま」の2本立ての時代。「のぞみ」が登場したのは1992年のことです。「ひかり」は計6本、そのうち2本はゴールデンウイーク運行の臨時便です。博多行きは2本、広島行きは1本、岡山行きは1本、新大阪行きは2本でした。

10時発「ひかり」博多行きの横には「グリーン個室連結」と書かれています。これは国鉄末期にデビューした2階建て新幹線の100系です。

一方、各駅停車タイプの「こだま」は計5本、新大阪行きが3本、名古屋行きが1本、三島行きが1本でした。

次は2023年です。10月1日の時刻表を見ると「のぞみ」は計5本、博多行きが2本、広島行きが1本、新大阪行きが2本です。「ひかり」は計2本で、岡山行きが1本、新大阪行き1本。「こだま」は計2本で、名古屋行き1本、新大阪行き1本です。

ここで注目したいのが「こだま」の本数。1987年は計5本でしたが、現在は計2本しかありません。「ひかり」だけでなく「こだま」の削減分も「のぞみ」に回しています。

「こだま」の利用率低迷は国鉄時代からの課題であり、1987年当時は一部の「こだま」が12両編成に減車されました。現在の東海道新幹線は16両編成で統一されています。

寂しくなった広島地区

さすがに全ての地域を取り上げるのは難しいため、ここでは広島地区を取り上げます。対象は山陽本線広島駅発下りの10時台です。

1987年当時は広島駅0分から10分毎に発車するわかりやすいダイヤでした。行先は下関行き2本、岩国行き4本という内容。広島駅から下関駅までは3時間45分というロングラン列車でした。

現在の平日ダイヤは4本と逆に少なくなっています。行先は大野浦行きが2本、岩国行きが2本となり、岩国までの列車は6本から2本へと大きく後退しています。

国鉄時代の1982年に「地域密着型」のモデルケースとして広島地区を指定。広島~大野浦間が15分間隔になり、1986年ダイヤ改正で広島~岩国間が10分間隔に。国鉄時代の車両を使いながらも、車内に自動販売機を設置するなどサービスアップに努めました。

しかし、近年は利用状況に合わせるという名目で減便が相次いでいます。地域輸送に対する考え方もこの30数年間で大きく変化しました。

最も列車本数が少ない区間は

それでは超閑散路線の比較はどうでしょうか。こちらは2023年時刻表から見ていきましょう。秘境路線で知られる只見線は会津川口~只見間は1日3往復しかありません。一方、会津若松~会津坂下間は1日7往復です。

今年3月末で一部区間が廃止になった留萌本線(深川~石狩沼田)は1日7往復です。東北では山田線(盛岡~宮古)は盛岡~上米内間が1日7往復ですが、全線走破の列車は4往復です。

1987年当時、まだまだ赤字ローカル線が数多く残っていました。日本有数の赤字路線だった北海道の深名線(深川~朱鞠内~名寄)は深川発が1日5便、朱鞠内~名寄間は1日3往復でした。

山田線から分岐した東北のミニローカル線、岩泉線(茂市~岩手和井内~岩泉)は茂市~岩手和井内間が1日5往復、全線走破の列車は1日4往復でした。

深名線、岩泉線ともに代替道路未整備という理由で平成まで生き延びましたが、深名線は1995年、岩泉線は2014年に廃止となりました。

1987年以降、列車本数が少ないローカル線の廃止は進んでいます。

JR発足から36年が経過した今、時刻表を見比べると新幹線は充実している一方、地方のローカル輸送は思いの外、苦戦している現状です。

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース