フランシス・F・コッポラ、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、マーティン・スコセッシ。世界に名だたる映画監督たちが「多大な影響を受けた」と公言する巨匠・黒澤明。1990年、80歳にして米国アカデミー授賞式で特別名誉賞を受賞した際、プレゼンターとしてルーカスとスピルバーグが登場したことでも、その偉大さが分かる。そんな黒澤監督の作品で長年助監督を務め、黒澤監督の遺稿である『雨あがる』で監督デビューした小泉堯史監督が、黒澤監督の長男であり映画プロデューサーの黒澤久雄さんと最新作『雪の花ーともに在りてー』を記念して対談を実施。偉大なる映画人である黒澤監督の身近にいた二人が監督の素顔を語った。
黒澤久雄と小泉堯史監督の出会い
久雄さんと小泉監督の縁は、小泉監督が初監督を務めた2000年公開の映画『雨あがる』にまでさかのぼる。黒澤監督の『赤ひげ』に感銘を受け、黒澤組に参加することになった小泉監督は、『影武者』(1980年)、『乱』(1985年)、『夢』(1990年)、『八月の狂詩曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)で助監督を務めた。そんななか、次回作である『雨あがる』のシナリオを書いているとき、黒澤監督が亡くなった。
「もうこの世界を辞めて田舎に帰ろうと思った」と考えるほど、監督の死は大きかったが、葬儀のあと、久雄さんはスタッフを集めて「小泉さんに撮ってもらおうと思う」と宣言。その言葉に「何も返事ができなかった」と小泉監督。そして「小泉さんしかいない」という久雄さんの言葉に心が動いた。
「とにかく親父がお世話になっていた。本当に一生懸命親父の映画作りに尽くしてくれた。これを映画化するのは小泉さんしかいない」と久雄さんは振り返る。一方、小泉監督は「僕は映画監督になろうなんて全く思っていなかった。ただただ黒澤さんのそばにいたかった。助監督をやっていれば満足だったんです」と黒澤監督に心酔していたのだという。
前述のように巨匠と呼ばれる世界の映画監督たちが、黒澤監督の影響を受け崇拝している。映像的な斬新さは現代でも突出している。では、小泉監督は黒澤監督のどこに惹かれたのだろうか。
「監督のすごさは語りつくされていますし、今さら僕の口から言うことではないんですよ」とほほ笑む。そして「とにかく若い人には黒澤さんの作った映画を観てほしい。絵のなかにすべてがありますから」と直接の言い回しを避けつつ最大限のリスペクトをにじませた。
「親父はとてもいい人」
映画監督としてのアイデアや技術的なすごさは「言うまでもない」と語る小泉監督。巨匠という言葉が独り歩きした結果、ストイックな厳格なイメージが形成されたが、久雄さんは「親父はいい人なんですよ」とおどけると「死後いろいろな方が本を出していますよね。僕から言わせると、結構都合よく書いているなって。みんな親父を『巨匠的』な堅苦しい感じで書いているけれど、実は親父はとても面白いし、非常に柔軟な人」と断言する。
さらに久雄さんは「親父のそばには、小泉さんと熊田雅彦さんという制作の人間がいつもいたけれど、多分二人とも、黒澤明のことを煙たいと思ったことは一度もなかったはず。とてもフレンドリーで、僕の友達が遊びに来ると親父も一緒に遊ぶんです。野球を観に行ったり、ゴルフに行ったり、麻雀なんかも一緒にやったりしていましたね。本当に世間に伝わっているような厳しい人とは正反対でした」と語る。
小泉監督も「僕は初めて黒澤監督の現場に行ったとき、監督は『影武者』という作品の脚本を書いていたのですが、そのときから『この人についていこう』とすぐに思えた。(黒澤監督の別荘があり、執筆などを行っていた)御殿場にも一緒に連れていってくれましたし、お話も面白い。人に言えないようなこともたくさん話してくださいました。そばにいて話を聞いているだけで『ずっとこの人の近くにいたい』と思えるんです」と久雄さんのいう“人柄の良さ”も黒澤監督の大きな魅力だという。
久雄さんは「小泉さんみたいな人が親父の本を書けばいいんだよ。みんな適当なことばかり書くんだから」とぼやくと、小泉監督は「俺は口が固いから。夜お酒なんか飲んでいると、面白い話だらけ。とにかくお酒が強かった。でもいつも家族の話になると愛にあふれている。久雄さんが御殿場に来るなんてときは、いつも『久雄が好きだから』っていろいろなものを用意していました」と懐かしそうに語る。
久雄さんは「小泉さんは本当に真面目で、まっすぐ。死ぬまで黒澤明を尊敬していて大好き。死んだらまず親父に会いに行きたいと思っているでしょ?」と問いかけると、小泉監督も「助監督の席は空いていますかね。堀川弘通さん、森谷司郎さんたちがいて。僕の席も空けておいて欲しいですね。本当に黒澤組の皆さんはとても素晴らしい人たちばかり」と懐かしそうに笑っていた。<後編に続く>
映画『雪の花ーともに在りてー』は1/24より全国ロードショー
小泉堯史監督
1944年生まれ。茨城県水戸市出身。70年に黒澤プロダクションに参加し、黒澤明監督に師事。『影武者』(80)、『乱』(85)、『夢』(90)、『八月の狂詩曲』(91)、『まあだだよ』(93)で助監督を務めた。黒澤監督の遺作脚本『雨あがる』(00)にて監督デビュー。この作品で第56回ヴェネチア国際映画祭緑の獅子賞、および第24回日本アカデミー賞において最優秀作品賞をはじめとする8部門で最優秀賞を受賞。その後、『阿弥陀堂だより』(02)、『博士の愛した数式』(06)、『明日への遺言』(08)、『蜩ノ記』(14)、『峠 最後のサムライ』(22)を監督。日本アカデミー賞では優秀監督賞を4度、優秀脚本賞を2度受賞しているほか、平成26年度芸術選奨文化科学大臣賞、第39回報知映画賞監督賞など数々の賞を受賞している。
黒澤久雄
1945年生まれ。黒澤明監督の長男。大学在学中にフォークバンド「ブロード・サイド・フォー」を結成し、歌手や俳優として活動後、映画プロデューサーとして『乱』(85)以降、黒澤明監督作品に携わる。『雨あがる』(00)では、黒澤監督の遺稿を、当時助監督だった小泉堯史に託し、映画監督デビューを推奨する。