ローカルなエリアを対象に、地域に密着した情報を発信するコミュニティ放送局。制度が始まった1992年以降、各地で開局が相次ぎましたが、閉局の知らせもしばしば耳にします。兵庫県尼崎市の放送局FM aiaiも2023年3月31日に放送を終了しましたが、その後同局のパーソナリティ有志が結集、10月2日に再度、放送を開始しました。放送再開1カ月を前に、中心になって活動した三宅奈緒子さんに話をうかがいました。
コミュニティ放送局の現状は
コミュニティ放送局とは、平成4年(1992年)に新しく制度化された放送局の形態で、20W未満の出力で地域に密着した情報を提供しています。
やや古い情報ですが、総務省の2016年の資料によると、「災害時などにきめ細かな情報を伝えることができるため、震災等を受けて開局する局が右肩上がり。特に1996年から1998年にかけては急激に増加した」とあります。年間平均10局ほど開局する一方、2016年の時点で制度開始以来21局が廃止された、ともあります。2020年7月31日付の産経新聞は、コミュニティ放送局より規模の大きな地方ラジオ局の閉鎖について報じています。この年の6月、愛知県と新潟県で閉局が相次いだのだといいます。
近畿のコミュニティ放送局でも、2022年3月にエフエムひらかた、2023年3月にはエフエムもりぐちが閉局しています。どちらも自治体からの補助の打ち切りがその背景にあるようです。スマートフォンなど情報端末の普及で、メディアとしてのラジオの重要性が相対的に低くなった、またラジオをよく聴く世代が高齢化してリスナーが減った、などの状況が自治体の撤退や広告スポンサーの減少に繋がったという事情もあると考えられます。
エフエムあまがさき(FM aiai)も、運営していた尼崎市文化振興財団に対して尼崎市からの市政や災害情報の委託が打ち切られたことが閉局の原因でした。
ラジオをなくしてはいけない
エフエムあまがさきが開局したのは阪神・淡路大震災翌年の1996年10月。パーソナリティとして21年間のキャリアがある三宅さんが閉局を知ったのは2022年4月。ものすごくショックを受けたといいます。その年、並行してパーソナリティとして活動していたエフエムもりぐちでの仕事が終了することが決まっており、「これから尼崎に専念して頑張ろう」と思っていた矢先のことでした。「私からラジオを取らないで」。そんな心境だったと振り返ります。
「これはどげんかせんといかん」。その直後から三宅さんは動き始めます。閉局を知ったのは金曜日、その土日には補助の打ち切りに至った市議会の議事録をネットで探してじっくりと読み込んで、状況を把握するところから始めました。そして共にパーソナリティとして活躍していた仲間と相談、なんとか続けたいという意思を共有して、5月頭には放送継続の方法を話し合うグループLINEを始めました。
パーソナリティが集まって放送事業を継続する。それはあまり聞かないことです。
「不可能だと周りからは結構言われ続けてきました。自分たちも正直、こういう景色を見られるとは思ってなかったというか、本当にミラクルです。皆さんのご支援いただいてなんとかやってこられました」
資金、書類、場所…様々なハードル
一番のハードルは「資金」でした。場所代はもちろん、ラジオ局にとって避けられないのは、曲を流すことに対する著作権料。尼崎市役所にアンテナを立てているので、その場所代も市に払わなくてはなりません。
番組というコンテンツを作る以前に、こういう固定費がかかるのです。クラウドファンディングで資金を募る一方、スポンサーや広告を出してくれる企業を探して粘り強く営業を続けました。
市内の商業施設の2階、これまで教室などを開いていたスペースに空きが出て、さらに防音だったこともあり、そこへの入居が決まりました。クラウドファンディングも成功し、資金に一定のめどがついた2023年8月20日。尼崎市文化振興財団「みんなのあま咲き放送局」に放送局の免許が譲渡されました。
「資金面のハードルがもちろん一番大変でしたけど、その次に大変だったのは書類でした」
放送局の引き継ぎに関する申請書類を見せてもらいましたが、ファイルが一冊満杯になるくらいの量です。これだけでも放送局を続けていくということの難しさをひしひしと感じました。
そしてついに、放送再開
2023年10月2日、午前8時半過ぎ、機材の電源が入れられました。そして9時、ついに放送が再開。「一般社団法人みんなのあま咲き放送局」のブースには、多くのテレビ局がつめかけています。一旦閉局が決まって停波したコミュニティ放送局が再び送信を開始する、それもパーソナリティ達が力を合わせて。とても希有なことであるのに加えて、ラジオというメディアにとってこれはひさしぶりの明るいニュースです。各メディアの注目度も当然、高いですよね。
放送再開からもうすぐ1カ月。いまは朝9時から夕方19時まで番組を放送し、夜間は音楽を流しています。
「開局はしたもののまだまだコンテンツが足りないので、皆さんの手を借りつつ試行錯誤しながら充実させていきたい。また開局前に営業させて頂いた先にも、無事に開局したいままた改めて営業に行きたい。いまはまだ立ち上がったばかりだけど、2024年4月からはもっとパワーアップして本格的にやっていきたい」と語る三宅さんはインタビューの最後にこう締めくくりました。
「うちは聴くラジオではなく出るラジオ。それがモットーですので、一人でも多くの方に参画してもらいたいです。出たい方、お待ちしてます」