2022年の合計特殊出生率が、過去最低の1.26と公表され、政府の「骨太の方針」でも、「少子化対策」が重要事項として、児童手当や育休給付の拡充、誰でも通園制度など様々な施策と大幅な予算の増額(国・地方の事業費ベースで年3兆円台半ばを確保)が予定されています。
もちろんどれも非常に大切なことではあるのですが、ただ、今の政府の「少子化対策」には、どうにもモヤモヤします。
財源はどうするのか、果たして実際にどれくらい効果があるのか、未婚化や晩婚・晩産化といった根本的な原因の解決になっていないのではないか、など、いろいろあるのですが、そもそも私は、「子どもを増やしてほしいから、〇〇の政策を実行する」という政府の根本的な姿勢に、どうにも引っ掛かってしまうのです。なぜでしょうか?
目次
#1 様々な国民の負担軽減は「子どもを産ませるために」行うべきものではない
#2 子どもを巡る状況は大きく変化しており、「何らかの対策を講じれば、子どもがバンバン増える」という考えは、幻想にすぎない
#3 現代は「少ない数の子どもを、お金と時間をかけて、じっくり育てる」
#4 「人口減少は不可避」であることを前提に、国や社会の未来を考えるべき
#5 なぜ、「少子化対策」の前面に出てくるのが男性ばかりなのか?
様々な国民の負担軽減は「子どもを産ませるために」行うべきものではない
私たちは、「『国の将来を支えるために』子どもを産み育てている」わけではありません。それなのに「人口が減少したら国力が衰える、労働力や社会保障制度の支え手が減る。だから子どもを産んでもらわないと。」と言われる。それに対して「ん?」と思うのです。
「今を生きる人たちにかかる負荷」、例えば、低賃金や奨学金の返済で将来への希望が持てない、子育てや教育にかかる金銭的・身体的負担が重い、長時間労働、といったことについて、そうした国民の負荷を減らし、不条理な状況を改善するのは、当然必要とされるべきことであり、それは決して「子どもを産ませるために、そうする」ということではないはずです。
国が、「『今を生きる人』を幸せにできないのに、『これから生まれてくる人』を幸せにすることなんてできない」のではないでしょうか。
―――――――――――――――――――
以前の連載、「日本の少子化問題を解説 原因を正しく分析することで見えてくる3つの対策ポイント」(2022年6月2日)、「『賃金が上がらず、将来に希望が持てない』日本社会を変えられる? 政府の『少子化対策』たたき台をどう考えるか」(2023年4月11日)で、我が国の少子化の原因の一つとして「未婚化」が大きな問題であり、若者の経済環境・雇用状況を改善し、ご自身の人生や、社会の将来に希望を持てるようになることが、個人の幸福、社会の活力、そして少子化対策としても、非常に重要なことだと考えます。
その上で、さらに今回は、「『子育てにかかる負荷を軽減すれば、子どもが増える』という政府の方針の問題点」について考えたいと思います。
――――――――――――――――――――――――
子どもを巡る状況は大きく変化しており、「何らかの対策を講じれば、子どもがバンバン増える」という考えは、幻想にすぎない
今の高齢世代の方は、4人や5人以上の兄弟姉妹の方も多いと思います。なので、その時代をイメージして、「『少子化対策』を実行すれば、また子どもがバンバン増える」と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、そのようにはいかないと思います。
我が国の戦後の子どもの出生順位別割合を見ると、第4子以上の割合は、1950年28.4%、1960年9.2%、1970年2.9%で、以降、3%前後で推移し、2020年は3.9%となっています。
昔、兄弟姉妹の数が多かったのは、新生児・乳児死亡率が高かった(※)ために、多くの子どもを産む必要があったこと、また、子どもが農作業や家業を担う「労働力」としての役割を求められていたこと、今ほど手間やお金をかけずに子どもが育っていっていたこと、また、1948年の法制化ではじめて人工妊娠中絶が合法化されたことなど、様々な時代状況があったと思います。
(※)乳児死亡率(出生1000対)の推移をみると、1939年までは100以上、すなわち、生まれた子どものおよそ10人に1人が1年以内に死亡していましたが、乳児死亡率は1976年に、新生児死亡率(出生1000対)は1967年に10を下回り、近年は、乳児死亡はおおよそ250人に1人、新生児死亡は500人に1人の割合となっています。
現代は「少ない数の子どもを、お金と時間をかけて、じっくり育てる」
現代は、子育てにかかる手間やコストが大きく増えています。子ども1人に大学卒業までにかかる費用(食費、衣類、教育費、レジャーなど合計)は、様々なシミュレーションがありますが、おおよそ2700万円(すべて公立)~4100万円(すべて私立)程度とされています。(「インターネットによる子育て費用に関する調査」(内閣府(2010年)、「学校基本統計」(文部科学省(2018年))など)
一方で、日本の給与所得者の平均給与(2021年)は、443 万円(男性545万円、女性302万円)で、正社員508万円(男性 570万円、女性389万円)、正社員以外198 万円(男性267万円、女性162万円)となっています。年齢階層別にみると、20~24歳で269万円(男性287万円、女性249万円)、25~29歳で371万円(男性404万円、女性328万円)、30~34歳で413万円(男性472万円、女性322万円)です。(「民間給与実態統計調査」(国税庁))
こうした状況下で、政府が「子育ての金銭的負担を少し軽減するから、もっと子どもを産んでください」と言ったところで、「よし、そうしよう!」と思えるかというと、そんなに簡単ではないと思います。
そして、子育ては決して金銭的な問題だけではありません。核家族化が進む中で、共働きでも、ワンオペ育児でも、膨大な時間とエネルギー、愛情を要します。今は「少ない数の子どもを、時間と手間をかけて大事に育てるもの」になっています。
夫婦の完結出生児数(結婚持続期間が15~19年の初婚同士の夫婦の平均出生数)をみると、1940年4.27人、1952年3.50人、1962年2.83人、1972年2.20人、1982年2.23人、1992年2.21人、2002年2.23人、2015年1.94人となっています。
1972-2015年のおおよそ40年間、完結出生児数は2人前後で推移している一方で、合計特殊出生率が、2.14→1.29と大きく減っているのは、主に「未婚化」の進展によるものです。「合計特殊出生率」は、「15~49歳の女性の年齢別出生率を合計したもの」なので、分母には、既婚・未婚、両方の女性が含まれており、日本では婚外出生が少ないので(2.4%(2020年))、未婚率が上昇すれば、当然、出生率は下がります。
また、出生数そのものが大きく減っているのは、人口(女性の数)そのものが激減していることも影響しています。出生数は、1949年269.7万人、1972年203.9万人、2000年119.1万人、2015年100.6万人、2022年77.7万人となっています。
「人口減少は不可避」であることを前提に、国や社会の未来を考えるべき
政府は、出生率引き上げについて、敢えて具体的な数値目標を定めていません(安倍政権のときに「希望出生率1.8」と掲げたことはありました)が、他の先進国の合計特殊出生率を見ても、程度の差はあれ、(理論上、人口が維持される数値とされる)「2.0」を上回っている国はありません。上記で述べてきた国民の意識や社会環境の変化、世界の情勢等を見ても、確実に「今後、人口は確実に減っていく」のであり、先進国の少子化対策は、「どれだけ、その減り具合を少なくするか」という問題です。
したがって、我が国も「人口が減っていく社会」を前提として、社会保障や労働市場など含め、今後の対応を考えていかなければならない、ということになります。
「様々な事態を想定して備える」のが危機管理であり、政府は「少子化傾向を反転させる」といったことばかりを強調するのではなく、それはそれとしてできる限りの対策を実行しつつ、「人口減少」に柔軟に対応していく具体的な議論と準備を、しっかりと行っていかねばならないと思います。
なぜ、「少子化対策」の前面に出てくるのが男性ばかりなのか?
最後に、ちょっといやな言い方になってしまうかもしれませんが、「少子化対策」に関して、表に出てくる政治家や学者、経営者の方々は、男性が多く、当然ながら、妊娠・つわりや出産の苦労、男性社会における女性差別の被害に遭ったご経験はないと思われ、そして、激務の中、実際に子育てや家事というものを、ご自身が主な担い手となってどれだけやってこられたのだろう、という疑問もあります
もちろん、なんであれ「実際にやったことがなければ、その苦労は、本当には分かりようがない」などと言うつもりはありませんが、ただ、なんというか、「何に困っていて、何を必要としているか」の本質や機微は、その当事者が最もよく分かっているでしょうし、「少子化対策の前面に出てくるのが男性ばかり」という今の日本の状況は、(建前はいろいろ言うけど、結局のところ)「男女は決して平等なんかではなく、家事や育児の負担は主に女性が担い、そして結果として、我が国では女性が活躍できていない」ということの、まさに象徴のように思われてならないのです。