【中途半端】「もう少し走ってくれたら、新幹線に乗り換えできるのに…!」大阪メトロ・御堂筋線「中津行き」はなぜ存在するのか

新田 浩之 新田 浩之

新幹線に乗るため、大阪メトロ・御堂筋線で梅田から新大阪駅に向かうことに。しかしホームで待っていたら、やって来たのは「中津行き」だったりすることがあります。なんとも中途半端な終点の列車の存在に、「もう少し先まで走ってくれたら新大阪に行けるのに」「なんで中津行きなんてあるんや」と疑問の声をちらほら聞きます。また急いでいるときに限って、中津行きに遭遇したりするんですよね。大阪市民の話のネタにも取り上げられる不思議な列車の存在について、独自検証で迫ってみたいと思います。

昔は中津~天王寺間がダイヤの骨格だった

中津駅は梅田駅の北隣りにあり、朝・夕ラッシュ時には天王寺方面からの中津行きが運行されます。中津駅には折り返し線があり、中津止まりの列車は始発列車として梅田・天王寺方面へ向かいます。

一方、新大阪駅は中津駅から2つ北隣りにあります。新大阪駅にも折り返し線があり、終日にわたり新大阪行きが運行されています。御堂筋線の運行区間は千里中央~なかもず、新大阪~天王寺を基本としています。

大阪メトロの前身である大阪市営地下鉄御堂筋線は1933年に梅田~心斎橋間で開業したのがはじまりです。1964年に新大阪駅まで延び、1970年に北大阪急行電鉄と相互直通運転する形で江坂駅を経て千里中央駅に乗り入れました。現在の千里中央~なかもず間が全通したのは1987年のことです。

御堂筋線のダイヤは輸送力が適切になるように複数の運転系統を用意しています。千里中央延伸後は千里中央~あびこ・なかもず、中津~天王寺を基本の運行区間としていました。つまり、新大阪駅折り返し列車は少数にとどまっていたのです。

なぜ昭和時代は新大阪駅で折り返さなかったのか

新大阪は東海道新幹線、山陽新幹線の発着駅にも関わらず、周辺は開発が遅れていました。1981年の御堂筋線各駅の1日あたり乗車人員を見ると、梅田駅243,136人に対し新大阪駅は37,444人でした。

つまり、梅田駅と新大阪駅との間には6.5倍の開きがあったのです。現在と比較すると新大阪駅への需要は決して高くなかったことから、中津駅折り返し列車が設定されたと考えられます。

1990年に昼間時間帯の中津行きが新大阪駅まで延長することになり、新幹線からのアクセスが大きく改善されました。東海道新幹線は昭和50年代に輸送人員が一時的に減少しましたが、バブル景気により、輸送人員は増加傾向に。1990年度は1985年度と比較すると1.2倍以上の伸びを記録しました。

また、1990年は大阪花博が開催された年でもありました。1990年の新大阪駅の乗車人員は1985年の1.4倍にあたる54,522人になりました。

コロナ禍前の2019年の1日あたりの乗車人員は新大阪駅が76,276人、梅田駅は220,376人を記録。梅田駅と新大阪駅の差は1981年の6.5倍から2.9倍に縮まっています。

1990年以降、新大阪行き折り返し列車が増えましたが、完全に中津行きが消滅したわけではありません。朝・夕ラッシュ時は平日ラッシュ時よりも列車本数が多く、どうしても新大阪駅だけではさばけません。そこで中津駅がサポート役に回っています。

とはいいつつも、1990年代から中津行きは減少傾向、新大阪行きは増加傾向にあります。新大阪駅周辺は2010年頃から再開発が本格化。大阪メトロ(大阪市営地下鉄)は2015年から3度にわたり中津行きを削減するダイヤ改正を実施しました。2023年6月現在、平日ダイヤの中津行きは31本にとどまります。

新大阪駅周辺は国から「都市再生緊急整備地域」に指定され、駅周辺の再開発が進むことになります。そのため、中津駅折り返しに代わって新大阪駅折り返しが増発される傾向は今後も続くことでしょう。

最後に中津駅で折り返すメリットはガラガラの状態でなんば・天王寺方面の電車が梅田駅に入線することです。朝・夕ラッシュ時に梅田駅から難波方面に行く際は中津駅始発列車の発車時刻も確認することをおすすめします。

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