ジジくん(オス・14歳)は、肥田木さんの夫の会社にあるカフェデッキの下で鳴いていた。2008年6月中旬のことだった。親猫に1匹だけ置いて行かれたようだった。子猫だったジジくんは、お客さんが心配するくらい鳴いていたが、デッキと地面の隙間が狭く、保護できなかったという。
「どうしても助けることができず一日中鳴き続けていたのですが、自分で出てきたところを夫が保護したそうです」
肥田木さんは当時妊娠中。夫は生まれてくる子どもと同い年の猫が欲しいと思っていたらしく、ジジくんを段ボールに入れて連れて帰ってきた。ジジくんは、電車の中でも恥ずかしくなるくらい鳴き続けていたという。
生きるために必死だった
ジジくんの目はまだキトンブルー、とても小さかった。少し猫かぜをひいていて、痩せ気味でボロボロだったという。
「ミルクを与えてみたのですが一滴も飲まず、離乳食を貪るように食べました。後日、鶏肉を料理していた時に盗み食いをしたのですが、ウーウー言いながら食べていて、『必死に生きてきたんだな』と思いました」
先住猫のまろちゃんに会うと、最初はお互いシャーシャー威嚇したが、そのうちに受け入れるようになり、まるで親子のようになった。
「いつもまろの後をくっついて回って、まろには完全に心を開いていました。最初は私たちのことも威嚇したのですが、それもなくなりました。ただ、近づこうとすると逃げてしまう。付かず離れずという感じでした」
7年目、やっと心を開いてくれた
ジジくんにはマーキング癖がある。
「当時かかっていた病院では1歳にならないと去勢してもらえなかったので、手術前に盛りが来てしまいました。あの時、セカンドオピニオンの話を聞いていたらと思いますが、いまだにマーキングは続いています」
今はマーキング用のトイレを用意して対処している。ただ、何か気に食わないことがあると、わざと違う場所にオシッコをかけてしまう。
「それはジジの意思や欲求だと思って、静かに受け止め片付けをしています」
マーキング癖に加えて、ジジくんは少し性格に癖があるが、肥田木さんに「ありのままの自分でいることが幸せなんだ」と気づかせてくれた。まろちゃんが亡くなってから2、3年後、7歳になってシニア期に入るとジジくんは甘えん坊になった。
「ようやく人にも心を開くようになり、自分から甘えに来るようになりました。今では頭をゴンゴンして甘えに来てくれます」