急勾配を登り、平野も100キロで駆け抜けた…南海高野線を支えた2000系「ズームカー」 その数奇な運命

新田 浩之 新田 浩之

南海電気鉄道は10月に支線に2000系を導入し、2200系を置き換えることを発表しました。この2000系は南海の歴代の車両の中でも、数奇な運命をたどった車両として知られています。

またも2000系にバトンタッチ

現在、南海の支線区では高野線で活躍した元22000系「ズームカー」を改造した2200系グループ(2200系、2230系)が活躍しています(高師浜線は休止中)。2200系グループは誕生から50年以上が経過していることもあり、老朽化が進行しています。

そこで南海は平成生まれの2000系を支線に「転勤」させ、2200系を引退することに決めました。2000系登場時は高野線にて同車が22000系を置き換えたわけですが、令和において歴史は繰り返すことになります。

橋本~極楽橋間の乗客減がネックに

2000系は1990年にデビューしました。もともとは高野線の山岳区間向けにつくられた車両となり、50パーミル(走行距離1000メートルで高低差50メートル)を超える急勾配も登ることができ、平野部は時速100キロで駆け抜ける車両です。

後輩車両と同じく山岳区間も平野部にも両方対応できることから、カメラのズームにちなんで「ズームカー」の愛称で呼ばれました。車両長は山岳区間を走ることから、一般車両よりも短い17m車、片側2扉です。

また同車は南海で初めて交流モーターを用いたVVVFインバーター制御を搭載した車両です。車内は一部にクロスシートが設けられていますが、基本はロングシートになっています。

2000系は21000系(丸ズーム)を置き換え、22000系(角ズーム)とは連結できるように先頭部に貫通扉を設けました。しかし制御機器が違っていたこともあり、いろいろとトラブルが多かったようです。

後に高野線から22000系が引退し、名実共に2000系が高野線ローカル輸送の主になったわけですが、次は乗客減という問題に直面しました。

1995年に橋本駅まで大型車が乗り入れるようになり、17m車限定の区間は橋本~極楽橋間になりました。この区間は乗客減が続き、明らかにローカル輸送での4両編成は輸送過剰という状況に。しかし2000系は安全上4両編成での運行が求められ、2両編成での運転は不可能でした。

そこで南海は新たに2両編成でも運行できるワンマン運転可能な2300系を新造。2005年から橋本~極楽橋間にて2300系を使ったワンマン運転がはじまり、2000系は高野線での主役を完全に奪われてしまいました。

仕事場が変わっても黙々と働く2000系 

2000系は新たな職種を求めて、一部車両は南海本線に移籍しました。しかし17m車・2扉・4両編成では「急行は難しいだろう」という判断があったのでしょう。専ら普通列車の運用に就いています。

南海本線の一般車両は片側4扉が基本なので、前面には大きく「2扉車」と表示。個人的には本来の目的とは異なる場所でも、黙々と働く南海本線2000系の姿勢を見習わないと、と思うわけです。

2000系はワンマン化改造された上で支線に導入されます。波乱万丈の2000系ですが、支線でののんびりした余生を送ってほしいものです。

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