宗教教育がカルトから身を守る力に 「救い」はお金で買えない フランス、ドイツの事例に学ぶ

北御門 孝 北御門 孝

日曜の朝5時に、NHK・Eテレで「こころの時代 宗教・人生」という番組があるが、10月は2週に渡り「徹底討論 問われる宗教と“カルト”」が放送された。6名の宗教学者、宗教者(牧師、僧侶)が「旧統一教会」問題を機にカルトとはなにか、政治と宗教、社会体制と宗教などについて話し合われた模様を放映した。討論における主旨を整理したうえで、なにが問題だったと考えられるのか、そして旧統一教会に限定せず今後の宗教との向き合い方について考えてみたい。

 マイノリティ集団で熱狂的崇拝 反社会的行為が問題に

まずカルトとは何かだが、「マイノリティ集団であって、熱狂的崇拝を実践」する教団ということだが、それだけでは別に社会的問題にはならない。それに加えて違法行為や、反社会的な行為があって、その被害者になりその後加害者にもなり得る、ことによって問題とされる。

伝統教団等との比較でいうと、似て非なるものだと言える。しかしながら伝統宗教も慎重にならなければ、越えてはならない「線」があってそれを越えてしまうと問題のあるカルト教団と同一視されてしまう。その「線」とは「恐怖をもって信じさせること」「経済的搾取を行うこと」「信教を拘束し、自由に辞められなくすること」だ。本来、宗教には信じる自由とともに迷う自由、あるいは宗教から離れる自由が認められるはず。信仰が深まったときにこそ、疑いを持つことが許されるべきである。カルトに限らずこういった点がしっかりと守られていないと社会的に批判される教団となるだろう。

ところで、カルトにはある種の魅力がある。伝統教団からは失われてしまった「棘」や「毒」を持っているからだ。社会に馴染んでいないからこそ尖って見え、それは一部の者にとっては魅力的と映る。対する伝統教団はその点で物足りなく見えるかもしれない。

体制に食い込んできた統一教会

宗教団体が反体制的であることは歴史上よく見受けられてきたことだが、反体制と反社会的であることとは違う。特に現代社会では反社会的であってはならないことだ。旧統一教会は「反共・保守」を全面に、日本では体制側にすり寄ってきた歴史がある。それは反体制である新左翼に対峙し、60年代に岸信介、笹川良一、そして自民党・清和会との関係性を築き、体制に食い込んできた。そして組織票、選挙ボランティアを利用して地方選においても存在感を現してきた。

宗教が社会へ働きかけるためには政治に関わらざるをえない。それは好き嫌いに拘わらず認められることだ。しかし、「政局」に引っ張り込まれることはよいのだろうか。政治と宗教は緊張関係にあって然るべきだ。今回は、近時の政治家の宗教への認識の緩さが明らかになってしまった。宗教の持っている力、怖さに対してあまりにも甘くみていた証左ではないか。他の職業団体と同等ぐらいに考えて扱っていたとしたら、明らかに認識不足だ。※例えば各士業団体は「政治連盟」という別組織を持ち政党・政治家との関係を保ち続けてきている。

 「救い」はお金で買えない

旧統一教会の霊感商法では「モノ」が高額で売買されるようだが、それはそもそも「モノ」の価値というよりは寄付の色合いが濃い。自主的に多額の寄付をすること自体は旧統一教会に限らず問題ないはずだ。ただ、忘れてはいけないのは根本的に「救い」はお金で買えないものだ。「救い」とは、売買の対象で対価がある商材などとは違う。だから、より多くのお金を寄付すると、より多くのご利益があるということは絶対にない。神様、仏様にお金は必要ないではないか。教団を運営するためにその規模に応じてお金が必要なのは理解できる。しかし、それとご利益とは全く関わりのないことだ。

社会の変化、地域コミュニティ・同居家族の分散に影響を受け、宗教集団は縮小化してきている。これを宗教離れ、宗教集団の劣化、とのみ捉えるのではなく、規模の縮小はしているが、価値の深化をしていっていると言えるようにして欲しい。縮小によって改めて価値を捉え直すことが大切だ。

 宗教教育がカルトへの自己防衛力に

宗教リテラシーの構築は、カルト対策の自己防衛力に繋がる。そのためには教育が必要だ。フランスとドイツの比較を見るとその差は明らかで、フランスでは宗教についての教育を排除してきた。ドイツは宗教教育に積極的だ。実際に、カルトが社会問題となっているのはフランスだ。そのためにセクト法という法律ができた。では、日本はどちらに近いのか。戦後教育については明らかにフランスのほうだろう。宗教についての教育により宗教リテラシーを身につけることができれば、カルト教団の勧誘に簡単には乗らない対策になる。

また、今後海外から入国される人々が異なる宗教を持っている。それに対して完全に理解はできないだろうが、それを尊び、重んじることが必要だ。それも宗教についての教育によって身につけることができる宗教リテラシーの効果だ。たとえ自らを無宗教だと主張するにしても、宗教リテラシーを身に着けたうえで対話が可能な日本人になるべきではないだろうか。

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