盆踊りのルーツって知ってる? 男女の関係にまで影響を及ぼした「歌垣」や「嬥歌会」

北御門 孝 北御門 孝

今年の夏は、地域の盆踊りが復活したところも多かったのではないだろうか。筆者の地元地域でも3年ぶりに規模を縮小して盆踊りが行われた。途中雨に降られもしたが、多くの子どもたちが訪れ、盆踊りや演奏と、出店の子供向けゲームを楽しんだ。人気のある出店には行列ができていたぐらいだ。行事を永く継続していくことの重要性を実感する。

盆踊りの起源についてだが、盂蘭盆会(うらぼんえ)との関わりが深いと考えるのが自然だろう。精霊を迎えるための目印として「標山(しめやま)」の如く目につき易くするために周りより高く、また燈籠に火を入れ精霊を招き寄せた。

踊りについては、出雲の国(島根県出雲市)須佐神社の「切明の神事」(念仏踊り)が始まりか。盆踊りの「音頭取り」は輪になって踊る真ん中にいて盆踊りを盛り上げる役割を果たしてくれるが、その発祥は「よりまし」だったと言われる。「依り代」は神霊の降りてくる対象物で、それが「ひと」の場合には「よりまし」と呼ばれる。神霊が憑依するということだ。時代は下るが江戸時代まで、この「よりまし」を若者組の者たちが務めた。

若者組はその地域の治安から信仰や芸能にまで幅広く携わっていて、男女の関係にまで影響を及ぼしていた。盆踊りには「歌垣」や「嬥歌会(かがい)」(男女が歌を詠みあっておこなう自由恋愛の行事)をルーツに持つという側面があるようだ。明治維新以降になると近代化を進める新政府は若者組を政府の管理下に置くようになり、若者組はその勢力が衰えていく。

盆踊りや大衆浴場の混浴に対して各地で禁止令が出されたのだが、それは欧米人が日本の文化に対して持った下品な印象、風俗の乱れを少しでもなくし、近代国家の仲間入りを進めたかったことが理由と考えられる。確かに西洋化という面からみれば低俗な風習であったかもしれないが、過去にも取り上げたように、それをよい風習として捉え、記録に残した欧米人もいたことは付け加えておく。(渡辺京二氏の著書「逝きし世の面影」(平凡社))

コロナ禍の現在、小学生にとっての3年間は大きい。小学校生活6年間のうちの半分を占めてしまうわけで、その貴重さから考えるととても長い期間だ。

しかしながら、今年も盆踊りや地蔵盆の開催を見送ったところも多くあったことは承知している。もちろん、各々事情を鑑みて苦渋の決断をされたことだろうから責めるつもりなど全くない。ただ、来年こそは、より完璧な内容で再開できることを祈るばかりである。

参考:「盆踊りと祭屋台と」折口信夫(折口信夫全集 中央公論社)

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