宍道湖と中海を結ぶ大橋川に浮かぶ島にある手間天神社(島根県松江市竹矢町)が、ツイッターで注目を集めている。あるユーザーが神社の写真とともにツイートしたところ1万2千リツイート、6万7千「いいね」が集まった(7月4日時点)。昔からの神社がなぜ脚光を浴びたのか調べてみた。
石段の上には何が
手間天神社は「てまてんしんしゃ」と読み、広さ約200平方メートルほどの塩楯(しおたて)島の全体を境内とする神社。国道9号沿いの岸から約20メートル離れた位置にあり、橋のようなものは見当たらない。岸からは鳥居や石段、こま犬らしきものが見えるが、島全体に木々が茂り、石段の上がどうなっているのか、見ることはできない。
ツイッターでは5月4日に「最初は行き方もわからず見ることしかできない神社、クリアした後にもう一度行ったら渡れるようになってるやつじゃん」という文章とともに、神社の写真が投稿された。
ロールプレイングゲームと呼ばれる冒険をするテレビゲームなどで、序盤はたどり着けなかった場所に、物語を進め条件を満たしたり特定のアイテムを手に入れたりして戻ると行けるようになるケースがよくある。ゲームの「あるあるネタ」を連想させる投稿とみられる。
投稿に対して、ゲーム愛好家たちのコメントで「なみのり(波乗り)覚えないと行けないやつ」「あまぐものつえとたいようのいしが必要かもしれん」といったゲームのネタが多数寄せられた。確かに船などがないと島にたどり着けず、石段の上に何があるのかもわからないため、いろいろな想像をかき立てられる神秘的な場所だ。
渡れるのは特定の日、人だけ?
島に行くには船を使うしかなさそうだが、誰でも参拝することができる場所なのだろうか。大橋川で観光船を運航する矢田渡船観光(松江市朝酌町)の社長の米原豊さん(82)は「運航の時に神社の前を通るが、いつでも誰でも上陸できるわけではない」と話した。
宮司の要望で、島に足を踏み入れられるのは年4回。1月、4月、7月、10月にある祭礼日の時だけ、限られた人が船で渡るという。普通ではたどり着けない場所にある神社。船があるからといって気軽に上陸できる場所ではないようだ。
米原さんは島を10回以上訪れたことがあり、2014年の遷宮祭の時には自社の船を使って必要な物資の運搬をした。米原さんによると、石段を登った先には10畳ほどの開けた空間があり、石段の正面に高さ約4メートルの拝殿と本殿があり、本殿横には倉庫があるという。島には石段のほかに、側面の斜面に土で作られた段があり、石段を「男坂」、斜面を「女坂」と呼ぶという。
遷宮祭の時には約200人が一度に上陸したといい、かなりの広さがあるようだ。米原さんは島が地元では見慣れた景色のため「人気の実感がわかない」と笑いつつ、「当たり前だった景色が注目されると、地元としても改めて大切にしなければと思う」と脚光を喜んだ。
島全体が「神域」に
なぜ、参拝するのにひと苦労する場所に神社があるのだろうか。
氏子の堀尾騏吉さん(75)によると、手間天神社は少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祭る神社。正確な創建年代は不明だが、約1300年前の「出雲國風土記」にも島の記載があり、少彦名命がこの地に降臨した際、塩楯島ができたという言い伝えがある。島全体が神様のもののため「神域」としてむやみに人が入らないようにしているという。
少彦名命は五穀豊穣(ほうじょう)や医療、戦の神様とされ、かつて島には貴重な薬草が生えていたと伝わる。昔から地元住民の信仰は厚く、堀尾さんは「太平洋戦争の出兵前には多くの人が神社に参り、そのほとんどが無事に帰ってこられたという話を聞いたことがある」と明かした。
現在の本殿は松江松平藩7代藩主・松平治郷(はるさと)(1751~1818年)がお抱えの大工、小林如泥に命じて作らせたもので、完成から200年以上になるという。石段をはじめ島全体の風化が進んでいるため、堀尾さんは「多くの人に神社を知ってもらえるのはうれしいが、無断で島に立ち入ることは避けてほしい」と注意を呼び掛けた。
川に浮かぶ謎の神社はその独特なたたずまいから感じる通り、とても神聖な場所だった。普通はたどり着けない島に、かつて貴重な薬草があったという点もゲーム愛好家の好奇心をくすぐるが、渡航には特殊アイテムではなく神職の許可が必要。興味があっても、岸から神社に向かって拝む程度にとどめてほしい。