島根・隠岐の島、海士町御波・日須賀地区から旧御波小学校を結ぶ山越えの通学路が半世紀ぶりに開通した。小学生がいなくなり草木に覆われたが、厳しい山道を6年間通った思い出が残る地元有志が「再び歩きたい」と熱望し、復活。途中に島前カルデラが見える展望所があり、有志は隠岐ジオパークのトレッキングルートとしての活用を働きかける。
通学路は直線距離で1・6キロの日須賀地区と御波小の間を、緩い弧を描くように通っていた。海辺の日須賀から標高140メートルまで上がり、再び海辺の学校まで下るアップダウンの道を、子どもたちは片道1時間かけて通学した。
日須賀の平尾一義区長(74)は「雪の日は靴に荒縄を巻いて滑り止めにして、竹スキーで坂道を下りたこともある。服がぬれると御波の人が急いで乾かしてくれた」と振り返る。
最盛期には50世帯100人が暮らした日須賀地区は人口減少が止まらず、1973年には小学生がいなくなり、今は14世帯30人が暮らす。通学路を知る世代が定年退職を迎え、3、4年前から「思い出の残る通学路を歩きたい」との声が上がるようになった。
ただ、草木が密集し、地区住民の宮岡健二さん(63)は「われわれの力ではできないとくじけていた」ところ、隠岐島前高校で島留学生だった小林京胡(きょうこ)さん(17)=宮城県登米市=に昨秋、出会った。
小林さんは新しい観光の目玉にトレッキングルートの開拓を提案しており、再整備に賛同して旧御波小側の住民と、半分を開通させた。日須賀側は青年海外協力隊としてスリランカに向かう前に、国際協力機構(JICA)の実習で滞在する牧野稔さん(37)が加勢し、3月に全体が開通した。
実習期間を終え、島を離れた牧野さんは「人のためになることができた」、小林さんは「開通できたのは、隠岐のみなさんのおかげ。優しさに支えられた」と感謝した。
通学路の頂点には展望所がある。島前諸島で有数の夕日の名所とされる日須賀地区と結ばれたことから、宮岡さんは隠岐ジオパークを体感できるトレッキングや町歩きでの活用を関係機関に勧める考えで「ツアーができるといい」と夢を膨らませる。