警備員の役割は得意先の安全を守ること。でも得意先には、なぜか警備員を毛嫌いする人がいて、ときには陥れようとしたり弱みを握ろうとしたりするため罠を仕掛けてくることがある。警備業界で体験した、ウソみたいな本当のエピソードを紹介したい。
警備員を陥れるつもりが…自分の立場も危うくなった係長
筆者がかつて携わっていた業務は「常駐警備」といって、得意先の施設に常駐して警備業務を行う。
具体的な業務内容は、主に部外者の侵入を許さない出入管理だから、中へ入ろうとする人がたとえ従業員でも身分証明書の提示を求める。
ほとんどの人は素直に従ってくれるが、中には警備員を毛嫌いする人がいる。
「考えてみたら、気持ちは分かるよな。自分が勤めている会社へ入るのに、よその会社の人間から『身分証を見せろ』といわれたら、誰だって面白くないよ」
これは当時、一緒に勤務していた先輩のつぶやきである。その先輩が、ある都市銀行の支店で経験したエピソードを話してくれた。
24時間の勤務を終えた先輩が、警備報告書をまとめていたとき、文書課の係長から呼び出しを受けた。
いってみると、係長は小さな手提げ金庫を指さしてこういった。
「これは金庫のカギを保管するキーボックスです。これがデスクの引き出しに入ってカギがかかっているはずなのに、今朝は出しっぱなしになっていました」
そういわれても、課内での保管ルールは警備員に知らされていない。
「見落としたんだね?」と係長は畳みかけてきた。
日ごろから警備員を毛嫌いしている人物だった。ここぞとばかり警備員の不備を責め立てている様子だったそうだ。
「では、警備報告書に追記しておきます」
警備報告書は毎朝、総務課長に提出して支店長が目を通す。係長の顔色が変わった。
「報告するの?」
「私共が見落としたということですから」
「いや、今度から気をつけてくれたらいいからさ。報告しなくていいよ」
係長は、カギをしまい忘れた自分が咎められかねないことに気付いたらしい。自ら弄した策略に嵌ってしまう「策士策に溺れる」とは、まさにこのことである。
自家製ケーキのあま~い罠
皇族が利用される老舗の大手ホテルで、筆者が警備業務に携わっていたときのこと。
警備員は定期または不定期にホテル内を巡回して、安全の確保と異常の早期発見に努めている。
ホテルの内部を大きく区分すると、客用スペースと従業員スペースがある。客用スペースが全体の3分の2、従業員スペースが3分の1ぐらいの割合だ。従業員スペースには更衣室、休憩室、従業員専用の喫茶店、主厨房、和食調理室、中華調理室、パンやケーキをつくるベーカリーなどがある。
ある日の深夜、定期巡回で厨房に入ったら、奥にあるベーカリーから甘い香りが漂ってきた。今だったら衛生管理が徹底されて、常温保存はしないだろう。だが当時は、常温保存できるケーキが置かれていることがあった。人のこぶしより小さなものだが、ホテルの自家製だからけっこうな値段がついている。
取ろうと思えば取れるが、もちろん手は出さない。
巡回を終えて警備室に戻って上司に報告したら、「それは“罠”だから気を付けろ」といわれた。
早番のパティシエが出勤してきたとき、ケーキがひとつ消えていたとする。パティシエは自分の上司には報告せず、警備隊長にこう耳打ちする。
「時間帯からみて、犯人は警備員さんしかいませんよね。本当のところ、どうなんでしょうか」
隊長が夜勤の勤務者に問いただしたら、犯人は本当に警備員だったとしよう。パティシエは「今回の件は不問にします」と恩を売って、警備隊の弱みを握っておけば、もしもベーカリーで火の不始末やガスの元栓を閉め忘れたなどのミスがあったときに、見逃してもらおうという魂胆なのである。
火の不始末は警備報告書に記載されて、ホテルの防災課長が目を通す。不始末を犯した本人と上司が処分を受けるから、なるべく隠したいミスなのだ。
あのケーキは、ネズミをとらえる餌ならぬ警備員の弱みを握るための甘い餌として、はじめから余分につくってあったのかもしれない。油断は禁物である。