日本は18年前から8位→15位と下降、OECD諸国の学習到達度「読解力」 目を向けたい価値観学習

北御門 孝 北御門 孝

PISA(Programme for International Student Assessment)は、OECD諸国の学習到達度を比較する調査(15歳3か月以上16歳2か月以下の学校に通う生徒が対象)だが、我が国は2000年の調査において「数学的リテラシー1位」「科学的リテラシー2位」「読解力8位」だったのに対し、直近の2018年の調査では「数学的リテラシー6位」「科学的リテラシー5位」「読解力15位」だった。いわゆる「ゆとり教育」との関連性が問題視され、注目を浴びた結果なのでご案内のとおりである。(3年毎に行われているので2021年に調査が行われる予定だったがコロナ禍によって延期となった。)

ところで根本的なリテラシー、我が国の識字率(日本語の読み書きできるひとの割合)は如何程であるかというと、99.8%などという数値も見受けられるが本当かどうかは不明だ。(識字率の定義の基準も不明)また、江戸時代後期の識字率が非常に高かったという話もよく聞いたり目にしたりするのだが、実際のところはどうだったのだろう。興味深い話だ。「国語学」に掲載の徳川宗賢氏の短信に明治14年の「識字調」が紹介されている。これはインデアナ大学のルービンジャー教授から知れわたった資料で、長野県北安曇郡常盤村の当時15歳以上の男性882名について行われた調査結果だそうだ。8段階の識字レベルに分類されている。これによると数字や自分の名前、村名でさえ読み書きできない者が35%、自分の名前、村名は書ける者41%、そして出納帳がつけられる者が15%となっており、ここまでで実に91%を占めている。(出納帳は今で言えば家計簿がつけられるかどうかぐらいの意味だろうか)さらに新聞論説を解読できる者は2%に過ぎなかったという。もちろん、地域による格差もあるだろう。こうした調査結果が様々な地域や属性で残されていればよかったのだが、残念ながら困難なようだ。この「識字調」はたいへん貴重な資料だ。

徳川宗賢氏の記載によれば、ヨーロッパでリテラシーが向上したのには宗教改革が影響したという。聖書を読めるようになりたいからだ。また、産業革命とリテラシーとは関連性がない、それは一般的には読み書きの必要ない工場での労働者となるからである。では、日本人のリテラシーは何とのあいだに関連性が見られるのだろう。残念ながら「面白い話題ではないか」と指摘するにとどまっている。

さて、PISAの結果についてだが、我が国では他のリテラシーに比べ、相対的に「読解力」が劣っているのは間違いないようだ。全体の順位の上下より、そのことが気になる。出題者が決めた正解を早く導き出す情報処理力は、これまでの暗記が中心の学習で身につけることができるが、自他共に納得のいく納得解をつくる情報編集力を養うには頭の柔らかさを身につける学習が必要となる。それにはまず大学入試で問われる学力の質が変わらなければならない。そうすれば、それに対応すべく学校(小中高)教育の内容も変化せざるを得ない。かなり以前から藤原和博氏(前奈良市立一条高等学校校長)が言われていることだが、教育が「ジグソーパズル型からレゴ型へ」と移っていくことによって、学習指導要領の基本的な考え方にある、思考力、判断力、表現力を養う教育へと変わっていく。もちろん、基礎的・基本的な知識が不要なわけではない。その上に必要とされる力だ。また、主体的に学習に取り組む態度が重要であることも学習指導要領において示されている。

ただ、ひとつだけ付け加えさせていただきたいのは、価値観についての学習だ。価値観には位相があるという。位相のより高い価値観を学ぶことによって目的の価値観が高いことが保証されることになる。そうでなければ培った知識や智恵を間違った方向に向けて使うこともあり得るからだ。では高い価値観を学習するためにはどうすればよいのだろうか。学校教育の場で可能なものだろうか、本来、家庭で行われるべきものだとも考えられる。教育の現場において、目覚しい技術革新(スタディサプリなどの活用)が進んでいっている。学校においても時間効率がアップし、余剰の時間が生みだせれば、価値観学習にも目を向けて欲しい。

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