これが江戸時代の「洛中」と「洛外」の境目を示す標識? 京都の和菓子店で珍しい石碑発見

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 江戸時代に洛中と洛外の境目にたった標識「洛中碑」を思わせる石碑が、京都市下京区七条通大宮西入ルの京菓子店前で見つかった。洛中を囲った御土居近くなど30カ所にあった実物の可能性があり、街中で再び見られるのは珍しい。

 石碑は高さ180センチ、幅と奥行き18センチ四方。京菓子店「笹屋伊織」の本店前で植え込みに埋もれているのを、歴史愛好家でつくる「京都歴史研究會」の吉平裕美代表(伏見区)が8月、見つけた。拓本をとると「是より洛中 荷馬口付のもの 乗へからす(乗るべからず)」と、市中に入る時は馬から降りるよう求める文字が刻まれ、大きさや花こう岩の材質も踏まえ、洛中碑の一つと見立てた。

 京都の石碑に詳しい元市歴史資料館員の伊東宗裕さん(70)によると、洛中碑は京都町奉行所が関わり、1695年に木杭30本がたてられた。1717年までに石柱化したが、近代化でほぼ撤去され、現在は十数本が市内の小学校や神社に保管されている。

 今回の石碑について、伊東さんは「実物の要件は整うが、これに習おうとした石屋がつくった模造品も多くあり、断定できない。いずれにしても洛中碑の研究を進めたり、実物が石碑や文字のお手本になった歴史性を伝えたりする点で興味深い」と話している。

 笹屋伊織女将の田丸みゆきさんや吉平さんによると、同社は江戸中期に七条堀川で創業した後、昭和初期に七条大宮へ店を移した。今回の石碑はこの頃の写真にもみられ、創業地の近くか、現店舗に近い千本通七条上ルにあった洛中碑を受け継いだ可能性があるという。1975年に取り外したが、2015年に位置を変えて置き直した。

 田丸さんは「先々代が早くに亡くなった後、石碑は由来が引き継がれず、店の奥に置かれた時期もあった。今回のご縁をきっかけに、先人が引き継いだ石碑をより大切にしたい」と喜ぶ。吉平さんは「石碑は通りがかりで偶然見つけられた。お店の協力で植え込みも整い、再び街中で見られるようになった。京都の歴史の一端を感じてもらう機会になれば」と話している。

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