手放せなかかった「母親」というカード 死にゆく人の視点で気づく本当に大切なもの 

野田 裕貴 野田 裕貴

私たちが決して避けられない、死。いつか訪れることはわかっていても、その瞬間をリアルにイメージしたことがある人はどれほどいるのでしょうか。普段は避けられがちなこの死について、僧侶と一緒に考えるワークショップが注目を集めています。主催するのは、神奈川県横浜市にある「慈陽院(じよういん)なごみ庵」というお寺の住職、浦上哲也さん。自分自身が病気を患い、病状の進行によって命を終えていくストーリーを疑似体験し、大切なものを再確認するという内容です。このワークショップの人気は、募集を開始すればすぐに定員に達するほど。死という暗くなりがちなテーマでありながら、ほとんどの受講者が明るく前向きになって帰っていくと浦上さんは話します。多くの人を惹きつけるこの死の体験旅行には、どんな魅力があるのでしょうか。

死の疑似体験を通して自分と向き合うワークショップ

死の体験旅行で進行役を務めるのは、主催の浦上さん。まず受講者は壁に向かって椅子に座り、1人ずつ20枚のカードが配られます。そのカードに、受講者が大切にしている人やもの、行いなどを1枚に1つずつ記入します。カードを書き終えると照明が暗くなり、穏やかなBGMとともに浦上さんの語りで死の体験旅行がスタート。病気が進行し死に近づくストーリーに合わせて、受講者は20枚のカードを取捨選択していきます。大切なものを少しずつ手放していき、最後には何も残らない。この死にゆく過程とともにすべてを失っていく疑似体験が、死の体験旅行です。中には、受講中に涙を流す方もいると言います。

2013年1月から始め、都内の寺院や自宅を中心に月に数回のペースで開催。普段は数十名の受講者がいますが、コロナ禍では5、6人ほどの少人数に制限しているそうです。2021年10月9日の時点で、延べ3851人が受講しました。

今も多くの方が受講し続ける死の体験旅行の主催者、浦上哲也さんにくわしくお話を伺いました。

欧米のホスピスの研修をアレンジ

――どのようなきっかけで死の体験旅行を始めたのですか?

浦上:私が僧侶になって2年ほどして、父が突然死で亡くなったんです。それまでも僧侶として心を込めて葬儀や法事をしてきましたが、父が亡くなったことで、ご遺族に対して親身に寄り添いたいという気持ちがより一層強くなりました。ただ時間が経つと、その気持ちもだんだん薄れていってしまうんですね。なんとかあのときの気持ちを思い出せないかと考えていたころ、ある本でこのワークショップのことを知りました。もともとは欧米のホスピスで始まった研修だったようで、当時は一般向けの開催はありませんでした。それでもどうしても受講したいと思い、看護師を講師に招いて仲間の僧侶と受講したのが始まりです。

――ご自身が体験してどうでしたか?

浦上:とても鮮烈な体験で、自分でもびっくりするくらい号泣していましたね。そのときの様子を、一緒に受講した僧侶がウェブに公開したところ、「開催してほしい」と多くの問い合わせがあったんです。それほど要望があるならば自分で学んでやってみようと思い、終末期医療に関わる医療者向けだった内容を、誰でも受けられるようにアレンジしました。2013年1月に死の体験旅行として初開催して以来、ずっと続けています。

――どんな人が受講されていますか?

浦上:始めた当初は20~30代の方が多かったのですが、今は年齢層が広がり、多いのは30~50代の方ですね。受講される動機は本当に人それぞれで、興味本位の方もいれば、自分自身が大切にするものを知るために来られる方もいます。また身内やご友人など親しい人が今にも亡くなりそう、あるいは亡くされて、「その人の気持ちを知りたい」という理由で来られることもあります。

大切なものに気づくきっかけに

――ワークショップ中、受講者はどんな様子ですか?

浦上:涙ぐむ人もいれば、号泣される方もいます。途中でつらくなってしまうのか、中にはカードを選べなくなる方もいました。カードをすべて手放した後には、みなさんに振り返っていただくシェアリングという時間をつくっています。

――ワークショップ中の思いを共有するんですね。

浦上:人数が多ければ4人ほどに分かれて、どんな思いでカードを手放したのか、最後にどのカードを残したのかなど、お互いに話し合うグループシェアリングを行います。その後の全体シェアリングでは、私がひとりひとりに質問をします。私の質問にパスする方もいれば、ご自分から感じたことを語り始める方もいますね。以前受講された方で、最後に「母親」と書かれたカードを残した女性がいました。私がお母さんとの関係をたずねると、実は昔から母親が嫌いで早くに家を出たそうなんです。でもワークショップを受けてみると、母親のカードがどうしても捨てられない。「嫌いだと思っていた母親に、私は認められたいと思っていたことに気づけた」と話されました。

――なぜそのような気づきが得られるのでしょうか?

浦上:私たちは普段、明日も明後日も生きていく前提で生活しています。頭では「今日命を落とすかもしれない」と思っていても、かといってそういう生き方はできない。ワークショップを受けると、死にゆく人の視点で考えるので、見える景色がガラッと変わるんですね。多くの人がワークショップで気づきを得るのは、構造を考えると当たり前のことなのかもしれません。

――受講した後、受講者に変化はありますか?

浦上:受講された方は、明るく前向きな表情になって帰っていくことが多いですね。自分の人生を俯瞰して、大切なものに気づいて前向きになっていると思うんですよ。だから死という暗いテーマを扱っていても、良い方向に変わっていく機会になっているのではないかと思います。ワークショップの後にいただくアンケートでも、「大事なものに気がついた」という感想が一番多いですね。

死を考えることで人生を見つめ直す

――普段の生活で死を考えることは必要なのでしょうか。

浦上:身内とか親しい人が亡くなっていくのは、ほぼ誰しもが経験することです。そういう機会がなかったとしても、自分自身の命を終えるときは必ずやってきますよね。四六時中考えることではありませんが、どこかで一度、または定期的に、死を考えるのは大切なことだと僕は思っています。

――死を意識的に考えることで、大切なことに気づけると。

浦上:そうです。特に日本のような先進国だと、医療体制が整っていて、私たちの身の回りや普段の生活の中に死というものがありませんよね。道端で行き倒れになる方もいませんし、家で家族を看取る機会も少ない。もし今が江戸時代だったら、ちょっと町外れに行ったら飢饉で誰か亡くなってることもあったでしょうから、こんなことは必要ないと思うんです。でも死が縁遠い今の日本の状況だからこそ、このワークショップのようなものが求められて、受講を希望される方も途切れないんだと思います。大々的に広めようとは思っていませんが、受けたいという方がいるので続けていきたいですね。ただ一人では対応しきれないことがあるため、全国の僧侶の仲間と一緒に「仏教死生観研究会」を立ち上げ、彼らにワークショップの手法を伝えています。今では私以外の僧侶も開催しているので、全国各地で受けられるようになりつつあります。

――どのような方にワークショップを知ってほしいですか?

浦上:受けてほしい人は、あえて絞らないようにしています。受講動機を限定してしまい、受けた後の感想を方向づけてしまわないようにするためです。普段しないような考え方で自分を見つめ直すことで、人生に誠実に向き合ったり、前向きになったりすることはありますが、それは強要するものではありません。ですので、これは誰が受けてもいいワークショップだと思っています。ただ普段お寺に接点のない若い方が多いので、将来何か困ったときや相談したいことがあるときに、お寺や僧侶を選択肢に挙げてもらいたいという思いはあります。昔話や時代劇のように、悩みごとがあったら和尚さんのところに相談に行く。そんな風に仏教を身近に感じてもらいたいと思っています。

   ◇   ◇

【浦上哲也(うらかみ・てつや)さん プロフィール】

神奈川県横浜市神奈川区にあるお寺「慈陽院なごみ庵」の住職。一般家庭出身で、親戚のお寺の手伝いをきっかけに僧侶となる。法事や月に1度の法話会を行いながら、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の共同代表や、「お坊さんQ&Aハスノハ」の回答者としても活動する。

▽慈陽院(じよういん)なごみ庵
https://753an.net/

▽仏教死生観研究会
https://bvld.info/

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