仕事を持ち、愛する人と結婚して、宝物のようなわが子を授かる…。端から見れば「幸せの絶頂」とも見えそうな瞬間です。でも、もしそこで心を病み、仕事を失い、家に引きこもってしまったら-?
きっと多くの人にとって考えたくもない状況でしょう。それが、ぼくです。
妊娠発覚直後にうつ病で無職になった男が、紆余曲折の末に障害者として生きることを決めるまでをつづろうと思います。
春、新しい命が宿った。けれど…職場では否定され続けた
ぼくは、どこにでもいる普通のサラリーマンでした。今時らしく、数回の転職を繰り返しながら、なんとか世間に付いていっていた社会人。適齢期と呼ばれる年齢で結婚し、いろいろありながらも、とはいえ至って順調に人生を重ねてきたのです。
32歳の春、待望の第一子の妊娠が分かりました。本当に嬉しくて、まだ生まれてもいないのに、赤ちゃんのいる生活を想像するだけで幸せを感じました。名前もぼくが考え、毎晩のようにお腹の赤ちゃんに呼びかけていました。
一方、その頃仕事では、とてもハードな日々を送っていました。厳しい仕事内容やプレッシャーに加え、上司のパワハラやモラハラに悩まされていた。朝は始業時間の2時間前に出社し、2時間程度の残業。それに加え、上司からはおもしろいことがなくても「常に笑え」と強制され、少しゆっくりしていると「まだ余裕があるな」と言って厳しい仕事を押し付けられ、しんどそうな顔をしていると「そんな態度をするな」。次第にどういった行動が正解なのか分からなくなり、30歳頃まで努力してきた自分の社会人としての考え方や性格は「全否定」され、完全に自信喪失させられました。そして、そんな僕の様子を見て上司は満足していたようでした。
「乗り切るのが社会人」と信じた 吐き気を抑え電車に
しかし、それも社会人としての宿命、乗り切るのが社会人だと信じていたぼくは、悩みながらも精一杯頑張って働きました。ましてや子どもがもうすぐ生まれるのです。仕事を休んで給料がストップしてしまったら、一家はたちまちピンチを迎えてしまう。ぼくは毎朝吐き気を抑えながら、通勤電車に乗っていました。
しかし頑張りがたたったのか、その頃から不眠症に悩まされるようになりました。どんなに疲れていても、睡眠不足でフラフラしていても、夜ベッドに入ると目が冴えてくるのです。心身共に疲れているのに、目を閉じると眠れなくなる。「明日の仕事が嫌だ」「上司と顔を合わせるのが憂鬱だ」。そんな思いで脳内が支配されてしまいました。心療内科で処方された睡眠導入剤に頼って睡眠時間を確保し、なんとか毎日を暮らしていたという状態でした。
奥さんによると、この時期のぼくは、睡眠中にうなされたり、痙攣をよく起こしていたそうです。食欲もなく、仕事のプレッシャーでお昼ご飯ものどを通らないのに、家に帰るとすぐに冷蔵庫を開けて、ビールを取り出し、そこから寝るまで常にワインや焼酎、ハイボールなどをあおる。常に酔っ払っている状態じゃないと、落ち込む気持ちを誤魔化せませんでした。もちろんアルコールのせいで気分は最悪です。しかし、ストレスを実感するよりも、お酒で苦しい思いをしたほうがマシという思考になってしまっていました。今思えば、一種の自傷行為のようだったのかもしれません。
そんなある日、ぼくは朝目が覚めても起き上がれなくなりました。体が動かないのです。起きなきゃ仕事に遅れると分かっているのに、目が覚めているのに、起き上がれない。まるで鉛のようになった体と、憂鬱な気持ちに襲われました。
「もう無理だ」と心が折れた瞬間です。