メーガン妃とハリー王子の一連の行動、特に先日のインタビューと、それに対する英米国内の反応を見て感じたことは、(妃の言っていることが真実であるかどうかに関わらず)、これは「王室に馴染めなかったひとりの妃と王室の溝」という話にとどまらず、今もこの世界に厳然と存在し、多くの人々に関わる様々な『深い溝』とその難しさを、改めてあらわにしたのではないか、ということです。「王族の果たすべき責務」「人種差別問題」について考察した前編に続き、今回はその後編になります。
目次
#1 本題に入る前に
#2 王族の果たすべき責務
#3 人種差別問題
#4 階級社会
#5 旧宗主国と旧植民地
階級社会
現在の英国には、基本的に制度や法律としての階級制度は定められていませんが、しかし依然として、国民の生活や意識の中に「階級社会」というものが、厳然と存在しています。教育による階層移動が小さく、学校、職業、アクセントの違いなどの話し言葉、生活様式、愛好する新聞やスポーツ等の娯楽の種類などにも、階級の違いが反映されていると言われます。階級は、単なる経済的な観点からの人の分類ではなく、人生や日々の生活のあらゆる領域において人を区別するものであり続けています。濃淡はあれ、他の多くのヨーロッパ諸国でも同様です。そういったことが適切かどうかは別として、それが現実です。
一方、米国では、建前であっても「人間は、生まれながらに、皆平等」と教えられますので、王族・貴族制度を持たない米国で生まれ育ったメーガン妃は、生まれながらの王族・貴族や、階級制度が存在する欧州の価値観や社会システムに、違和感を感じたのだろうと思います。(「王室に嫁ぐんだから理解しようよ」というのはあるとしても…。)
されどまた一方で、英王室がメーガン妃を受け入れたのは、時代の変化・相当の変革であり、寛容さの表れともいえると思います。
例えば、過去を見れば、エリザベス女王の伯父であるエドワード8世は、離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソン氏との結婚が許されなかったため、王位を捨てました(1936年)。
そして、現在でも、ヨーロッパ各国の王室に嫁いだ民間出身の妃は、外国人や離婚経験者である場合はなおのこと、王族や世論の猛反対にあったりしながらも、苦労しながら懸命に努力することで、王室や国民に受け入れられてきています。
例えば、スペインのレティシア王妃(離婚経験有)、オランダのマキシマ王妃(アルゼンチン出身、実父が独裁政権の大臣)、ノルウェーのメッテ=マリット王太子妃(シングルマザー、麻薬歴有)、スウェーデンのシルヴィア王妃(ドイツ出身、実父がナチス党員)、デンマークのメアリー皇太子妃(オーストラリア出身)、ルクセンブルクのマリア・テレサ大公妃(キューバ出身)等、それぞれに、苦悩があり、努力があり、そして、国民に受け入れられた今があることが分かります。
つまり、メーガン妃に苦労があったとしても、それは決して、メーガン妃だけに不当に課されたもの、というわけではなく、王室に嫁ぐ多くの女性が同じように味わったものだったということはいえると思います。(もちろん、だからといって、当然にすべき苦労だと言っているわけではありません。)
むしろ、エリザベス女王のメーガン妃への様々な気遣い等を見ても、ダイアナ妃の苦い経験も踏まえ、女王は、異国から嫁いできたメーガン妃がつらい気持ちを味わわずに済むようにと、心を砕いてこられていたように見えます。