メーガン妃とハリー王子の一連の行動、特に先日のインタビューと、それに対する英米国内の反応を見て感じたことは、(妃の言っていることが真実であるかどうかに関わらず)、これは「王室に馴染めなかったひとりの妃と王室の溝」という話にとどまらず、今もこの世界に厳然と存在し、多くの人々に関わる様々な『深い溝』とその難しさを、改めてあらわにしたのではないか、ということです。
具体的には、(1)英国を始めとする「欧州及び欧州的価値観」と「米国及び米国的価値観」の間の埋めがたい溝、(2)元宗主国と元植民地の溝、(3)王侯・貴族階級とそれ以外の人たちの溝、(4)人種間の溝、等です。
これまでの長きに渡る人類の苦難の歴史を踏まえ、日常において、皆がなるべくその存在を見ないようにしてきていたけれど、「いや、やっぱり溝ってあるよね。そして、残念ながらこの溝は、埋めようがないのかもしれないよね。」といったことを、突き付けてしまったように思います。
目次
#1 本題に入る前に
#2 王族の果たすべき責務
#3 人種差別問題
#4 階級社会
#5 旧宗主国と旧植民地
本題に入る前に
どんなことであれ、一方の側の言い分のみを聞いただけでは、状況を正確かつ公正に判断することはできませんし、してはいけないと思います。ひとつの事象について、Aの側とBの側とで、受けとめ方や解釈が大きく異なっているということは、現実社会において、多々あることです。(意図的に捏造や誇張をしている場合もあれば、実際にそう「思い込んでいる」場合もあるでしょう。)
英王室のメディア対応の方針は、“Never complain, never explain” (文句も弁明もしない)であり、したがって、王室側が反論しないであろうことが明白な状況において、メーガン妃側の言い分のみに依拠して王室を非難するようなことは、フェアではないと思います。
一方で、メーガン妃が、英メディア等において、当初よりバッシングやプライバシー侵害を受けてきたことは客観的事実でありましょうし、そして、今回メーガン妃が「自殺を考えていた」と言ったのを虚偽だという人がいますが、私は、それは妥当ではないと思います。例えば、うつ病や摂食障害等のメンタルヘルス問題に苦しみながらも、それを隠して、会社や学校に通っている方は、大勢いますよね。自殺した方が、周囲から「全然そんな風には見えなかった」と言われるのも、よくあることです。「『気が強そうに見える人』は、決して繊細でも優しい人でもないし、悩むことなんてないはず」というのは、あまりにも表層的・短絡的で、本質を見極めない物の見方だと思います。
メーガン妃が、王室に嫁ぐということの意味や王族の責務というものを理解しておらず、また妃自身の行動にも問題があったとは思いますが、とはいえ、むしろそれ故に、つらい・苦しいと感じたことは実際に多々あったでしょうし、それによってメンタルに影響が及んだことも十分に想定されることです。「メーガン妃にも非がある」ということと、「メーガン妃がメンタルヘルスで苦しむわけがない」というのは、全然別の話のはずです。
我が国においても、「メンタルヘルスを公にできない、隠さなきゃいけない」という風潮が、どれだけ人々を追い込んでいるかを考えれば、ますます、こうした見方をすることは、適切ではないと思います。