「ムーンライトながら」廃止に時代の流れ かつては数多く存在した夜行列車…JR発足直後の時刻表でたどる

新田 浩之 新田 浩之

1月22日、JR東日本とJR東海は東京~大垣駅(岐阜県大垣市)を結んでいた臨時夜行快速列車「ムーンライトながら」の運行終了を発表しました。今は風前の灯火ですが、かつて東京発西行き夜行列車は多数設定されていました。JR発足直後の1987年(昭和62年)5月号の時刻表を基に、東京から西へ向かった夜行列車にスポットを当てます。 

「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」名列車が続々

1987年5月号時刻表にある「寝台特急」のページを開くと、東京駅から数多くの寝台特急が運行されていたことがわかります。なかでも千両役者といえるのが九州に向かう寝台特急です。

   ◇   ◇

▽東京発・九州行き寝台特急

・さくら:東京~長崎・佐世保
・はやぶさ:東京~西鹿児島(現鹿児島中央)
・みずほ:東京~長崎・熊本
・富士:東京~宮崎
・あさかぜ1号:東京~博多
・あさかぜ81号:東京~博多(臨時列車)

   ◇   ◇

このように見ると「はやぶさ」や「みずほ」のように現在は新幹線の列車名として使われているものもあります。

そして当時、最も豪華な寝台列車だったのが「あさかぜ1・4号」でした。「あさかぜ1号」は東京駅を19時05分に出発し、終着駅の博多駅には翌日の10時51分に到着。途中の下関駅と門司駅で機関車の交換作業を行っていました。

「あさかぜ1号」は14両編成で構成されており、数々の個室寝台車を連結していました。1等にあたるA寝台1人用個室「シングルデラックス」は5号車、2等にあたるB寝台2人用個室「デュエット」は6号車、B寝台4人用個室「カルテット」は4号車にあり、6号車にはカード式のシャワー室も。その他の車両は個室ではない2段ベッドのB寝台でした。

このような個室寝台車は好評を博し、後に北海道行きブルトレ「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」に受け継がれることになります。

さらに7号車には食堂車があり、寝台列車の旅を思う存分楽しむことができました。他の九州行き寝台列車にも食堂車は連結されていましたが、「あさかぜ1・4号」の食堂車はリニューアルされ、豪華列車にふさわしい仕様でした。

食堂車では「ハンバーグステーキセットフォレスト風」や「海の幸盛り合わせシーフードセット」などを提供。夜景を見ながらゆったりと夕食を楽しむ……現在からすると贅沢なお話です。

「銀河」や「大垣夜行」などの脇役がしぶい

九州行き寝台特急以外にも東京発西行き夜行列車が存在していました。

   ◇   ◇

▽東京発・西行き夜行列車

瀬戸:東京~宇野(寝台特急)
出雲1号:東京~浜田(寝台特急)
出雲3号:東京~出雲市(寝台特急)
あさかぜ3号:東京~下関(寝台特急)
銀河:東京~大阪(寝台急行)
銀河81号・83号:東京~大阪(臨時列車)
345M:東京~大垣(普通列車)

   ◇   ◇ 

この中で特筆されるのが「銀河」と「345M」でしょう。「銀河」は九州行き寝台特急よりランクが低い「寝台急行」でしたが、オール寝台車で構成されていました。

東京駅を22時45分に出発し、大阪駅には翌日の7時43分に到着。深夜高速バスが未発達の時代の中、関東~関西間を夜中に移動できる列車として重宝されてきました。

「345M」は「大垣夜行」として知られる名列車。寝台車はなく、2ドア直角ボックスシートの急行型車両で運行されていました。長期休暇になると普通・快速列車乗り放題の切符「青春18きっぷ」利用者で大いに賑わったようです。

このように約30年前は東京駅から多くの夜行列車が出発しましたが、新幹線の速達化、深夜高速バスの発達、車両の老朽化などにより次々と姿を消してしまいました。社会情勢により旅行がしにくい中、昔の時刻表で紙面旅行をすると思わぬ楽しさを発見できるかもしれませんよ。

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