今年は節分が2月2日になる事は、すでにほとんどの人が知っているだろう。そして、来年以降も定期的に節分が2日になるということも。理由は「地球が太陽の周囲を回る公転の周期と暦がずれるため」とされているが、もっともっと詳しく知りたい。そこで、小難しい話を、わかりやすく教えてくれる専門家、明石市立天文科学館の井上毅館長に徹底解説してもらったところ、原因は2000年にあるというのだ。一体、どういうことなの?
―なぜ節分がずれるのかを教えてください。
「それはずばり、2000年の閏年が影響しているんです。なんせ超レアな閏年でしたからね。と、いきなり言われてもわからないでしょう?これを理解するにはまず、日本をはじめ、世界各国で採用されているグレゴリオ歴について詳しく知る必要がありますよ」
グレゴリオ歴は1年を365日(平年)とし、4で割り切れる年を閏(うるう)年とする。ここまでは私たちがよく知っているカレンダーだが、実は続きがあって、100で割り切れる年を平年、400で割り切れる年を閏年とするルールで運用されている。
なぜか。それは、地球が太陽の周りを1周する公転時間が、ぴったり365日ではなく、365日とさらに約6時間弱かかるからだ。言い換えれば365日ぴったりではちょうど1周回りきれないということ。そのため4年で約23時間の「遅れ」が生じてしまうのだ。これを修正するために4年に1度、1年を1日増やした366日にして調整している。これがいわゆる閏年だ。
4年に1度だけでは「進みすぎ」に
だが、4年に1度1日(24時間)増やすと、逆に約1時間「進みすぎ」になってしまうのがわかるだろう。厳密にいうと「進みすぎ」は1時間ではなく44分なのだが、これが100回積み重なると(つまり400年経つと)、なんと約73時間(=約3日)の進みすぎとなってしまうのだ。
そこで400年の間に訪れる100回の閏年を97回に減らして調整することにした。誰もが覚えやいように…と、100で割り切れる年は平年に、400で割り切れる年は閏年にすることで、閏年の数を3回間引けるように設計したわけだ。
ーここまでは理解できました。でも節分がずれるのはなぜでしょう?
「節分は二十四節気の一つ立春の前日を差します。二十四節気というのは、地球が太陽の周りを回る公転軌道を24個に分けた地点で、地球と太陽の位置によって決まっているわけです。そこにグレゴリオ歴を重ね合わせると、先ほどの説明のようにちょっとずつ、ずれが生じるということですね」
例えば19世紀。国立天文台によると、1853年、地球が立春の瞬間を迎えたのは2月4日5時20分ごろだった。1854年は4日11時ごろ、1855年は4日17時ごろ、1856年は4日23時ごろと、約6時間ずつ遅れていったが、この年は閏年なので、翌年1857年の立春は4日の4時40分ごろと「遅れ」が戻され、逆に40分ほど「進みすぎ」ていることがわかる。
その後、閏年のたびに「進みすぎ」が積み重なり立春の日付が変わる。1884年は4日18時ごろ。その年は閏年なので遅れが戻された1885年は3日の23時40分ごろになったのだ。
400年ぶりの“超レアうるう年”だった2000年
だが、「進みすぎ」はその15年後、100で割り切れる1900年に閏年を平年にすることで解消された。
ーここで冒頭の2000年の閏年が鍵になってくるわけですね?
「そうです。20世紀も19世紀同様に、遅れを戻すための閏年によって、逆に進みすぎが蓄積していきました。そして迎えた2000年。2000は100で割り切れますが、400でも割り切れるので、平年にはせず、閏年になるわけです。1600年以来、実に400年ぶりの超レア閏年だったんですね。そして平年ではなく閏年になったために、進みすぎは解消されることなく蓄積を続け、ついに今年、立春の瞬間が3日23時59分になったというわけですね」
ーこの「進みすぎ」基調が解消されるのはまだまだ先ということですね。
「ええ。次に閏年が平年になるのは2100年。それまで、この調子で『進みすぎ』が続いていきますから、しばらくは4年に1度のペースで立春が3日、つまり節分が2日になります。2050年ごろから2年連続で節分が2日になり、2100年に近づくと、4年に3度は2日です。『毎年2月3日は節分』という状況が戻ってくるのは22世紀になってからですね」
ー閏年は「4年に1度」としか意識していなかったので、2000年の閏年も当たり前に過ぎていきました。でも長い暦の歴史の中では大きな「転換点」だったことがよく分かりました。
「暦の仕組みを知っていれば、100年後、200年後のカレンダーがどうなっているかを知ることができます。長生きしなくても未来のことがわかるって面白いでしょう?あ、でも、22世紀も、節分に豆をまいているかどうかまでは…わかりませんけどね」