「フィジカルディスタンスの確保にご協力ください」――そんな張り紙の写真とともに「『ソーシャルディスタンス』という言葉に対する人文学の抗議を感じる」などとつぶやいた大学生の投稿がツイッターで共感を呼びました。
「ソーシャルディスタンス(社会的距離)は違和感があった」
「物理的に距離あけてねって意味なのになんでソーシャル?ってずっと疑問だった」
「うちもフィジカルディスタンス(物理的距離)の方がいいと思う」…。
コロナ禍で感染予防を目的に人と人の間に十分な距離を保つ際に使われていた「ソーシャルディスタンス」ですが、より適切な表現として「フィジカルディスタンス」に言い換えるよう、世界保健機関(WHO)が5月ごろから推奨してきたはずですが…いまだにツイッターなどで話題になってしまうほど、日本では「フィジカルディスタンス」という言葉が浸透していないのでしょうか? その背景を探るため、ツイートをされた神戸大学文学部3年生の松浦信さんに投稿しようと思った理由などについてお話を伺いました。
「ソーシャルディスタンス」は他者との心理的距離をとるという意味
そもそも2メートル以上の対人距離を呼び掛ける「ソーシャルディスタンス」が「フィジカルディスタンス」に言い換えるようになったのは、「ソーシャルディスタンス」という言葉が他者との心理的距離を意味しており、「人とのつながりが希薄になり、社会的孤立が生じる恐れがある」ことからだとか。確かに「フィジカルディスタンス」という言い回しの方が物理的・身体的に一定の距離を保つという意味ですので、感染予防を目的とするならば適切な表現だといわれるのもうなずけます。
今回投稿された「フィジカルディスタンス」を呼び掛ける張り紙は、松浦さんが通う神戸大学文学部の教室内で発見。松浦さんによると、コロナ禍のため進級した4月から9月ごろまで在宅でのオンライン授業だったため、10月から対面授業が始まった際、教室に貼られていたことに初めて気付いたといいます。
――この張り紙をご覧になって、思わずツイートした理由は?
「今だに周りでもソーシャルディスタンスという人の方が多いと感じます。対面授業が始まって『フィジカルディスタンス』と呼び掛ける張り紙をたまたま目にしまして。学部側の意図はよく分かりませんが、今や見慣れた『ソーシャルディスタンス』という言葉を用いるのではなく、あえて『フィジカルディスタンス』と表記することによって、学術的にも日常的にも言葉の意味を問い直そう、かつ問い直させよう、という学部側の挑戦的な精神が感じられ、思わず『いいな』と思って投稿したんです」
本来は「ソーシャルディスタンシング」だったのに…
――なるほど。今だに日本人が「ソーシャルディスタンス」と言っていることに対して、「フィジカルディスタンス」と表記した学部側が一石を投じているように感じたわけですね。
「そうです。実は5月ごろ、社会学の授業でも『なぜソーシャルディスタンスというのか』といった課題が出たんです。そのときに詳しく調べまして、海外ではもともと公衆衛生学において“social distancing(ソーシャルディスタンシング)”という言葉が他者との物理的接触を避けるという意味で使われてきたらしく。それとは別に、社会心理学においては他者との心理的距離という意味で“social distance(ソーシャルディスタンス)”を使っていたようです。
今回のコロナ禍では『人との距離を取る』際に使う言葉として日本で浸透したのは、『ソーシャルディスタンス』の方でした。本来の意味では『ソーシャルディスタンシング』なのですが…響きが馴染まなかったのでしょうか」
――確かに「ソーシャルディスタンス」の方が言いやすいかもしれませんね。あらためて言葉の意味を考えると、「フィジカルディスタンス」と使う方が正しいのかもしれませんが…。
「とはいっても、『ソーシャルディスタンス』の言葉のせいで、人と心理的な距離を感じてしまうとか、孤立感を覚えるということは全くありませんでした。コロナ禍で友だちと実際に会えなくても、電話やSNSなどいつでもつながれる手段はたくさんあります。今回の投稿も『フィジカルディスタンス』が絶対正しいと思ったからではありません。ただ、『ソーシャルディスタンス』を使うにしても『フィジカルディスタンス』と呼び掛けたとしても、言葉の本来の意味や概念などについて深く考えてみんなで議論したいという思いが根底にありました。これからも、そんな議論できる自由な社会であってほしいなと思っています」