新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言の発令や、他人の外出自粛・営業自粛に目を光らせる“自警団”の出現、怪情報の錯綜など、この社会が見舞われたある種の“パニック状態”が、何かに似ていると気づいた人は少なくないだろう。そう、ゾンビ映画である。国際ファッション専門職大学(大阪市)助教で、新進気鋭のゾンビ研究者の福田安佐子さんも、両者の共通点に早くから注目していたひとり。「緊急事態宣言は解除されましたが、決して油断してはいけません。何故なら、数多あるゾンビ映画がこう教えてくれているからです。『第2波に備えよ』と」――。
福田さんは1988年、兵庫県西宮市出身。京都大学大学院時代、ポストヒューマニズムについて研究する過程でゾンビと出合い、以来、ゾンビ沼に足を取られたまま今に至る。
「ゾンビ映画のベースとなっているのは、『感染』という事象そのものに対する恐怖。目に見えないものに感染することで人が変わってしまうことへの恐怖を、ゾンビというわかりやすい形で見せたものがゾンビ映画と言えます」と福田さん。コロナを巡る騒動も、その変奏と捉えることができるという。
自警団の正義感の暴力的な危うさ
コロナ禍の渦中で特に耳目を集めたのが、営業を続ける飲食店などに「自粛せよ」と匿名の張り紙で警告したり、県外のナンバープレートを撮影してSNSで晒したりする、いわゆるコロナ自警団だ。
「自警団はゾンビ映画でも重要な役割を担っています。例えばジョージ・A・ロメロ監督の伝説的な『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)は、ゾンビを一掃した自警団が、主人公の黒人男性をゾンビだと思って撃ち殺す絶望的なシーンが有名です」
「自警団は地元のならず者が勝手に結成したものなので、往々にして助け舟にはなりません。その後のシリーズでも、生きている人から何かを奪ったり、ゾンビを吊るして遊んだりと、自警団の身勝手さや残酷さを印象づける描写が見られます。コロナ自警団の人たちは、彼らの正義感に基づいて行動しているのかもしれませんが、他者にとっては暴力的なものとして目に映ることもある、という教訓ではないでしょうか」
安全な場所から外に出たがる
一方で、自粛期間中もこれまで通りの生活を送り、外に出て遊ぼうとする人は確かに存在した。福田さんに言わせると、こうした行動もやはり「ゾンビあるある」なのだという。
「ゾンビ映画では、安全な場所に立てこもることができたのに、『薬を取りに行く』とか何かと理由をつけて外に出たがる人が必ずいます。社会から断絶されると、役割や生き甲斐を失い、落ち着かなくなるのです。非常時でもすぐに方向転換できず、以前の生活を取り戻したいと思ってしまうのでしょうか」
「また、『コロナは風邪と変わらない』など、リスクを低く見積もりたがる人も目につきました。『自分はコロナだ』と言って周りを困らせた人、買い占めをしてフリマアプリで転売していた人、感染者のいない南の島や過疎地に行った人…。申し訳ありませんが、これらの人たちの言動はゾンビ映画の序盤を思わせます。ゾンビ映画で描かれるパニックの多くが、実は生きた人間によって引き起こされたもの。日頃からゾンビ映画に親しんでいれば、こうした行動は取らないはずなのです。ゾンビ映画が蓄積してきた教訓は、残念ながらそこまで広く共有されていないのかもしれません」
ゾンビ映画の教訓は「ステイホーム」
では、ゾンビ映画はコロナ禍でどう振る舞うべきだと教えてくれているのか?
「家にいるべきです(即答)」
「ゾンビとの戦いに勝利する物語であっても、その多くは第2波の到来を予感させて終わります。また、ゾンビとの共生を描いた作品、例えば『ゾンビーノ』(2006年)でも、首輪が外れてゾンビが増えちゃうとか。日本では緊急事態宣言が全て解除されるのが確実になった週末、フライングで湘南に観光客が押し寄せるなどしていましたが、ゾンビ映画ではあれは第2波へのフラグだと言わざるを得ません」
ゾンビ映画が描くウイルスと共生する道
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、社会がコロナ以前に戻るにはかなりの時間を要するのは確実だ。むしろ、ある部分はもう以前の姿には戻らないかもしれない。被害を最小化した上で、ウイルスとの共生を目指すべきだとの専門家の指摘もある。
「先ほど例に挙げた『ゾンビーノ』のように、ゾンビ映画にも共生をテーマにした作品があります。例えばブラッド・ピット主演の『ワールド・ウォー Z』(2013年)。駄作判定されがちな1本ですが、ウイルスと『戦う』のではなく『共生する』道を提示している点は重要です。他にもロメロの『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(2009年)は、ゾンビに人間以外の餌(馬)を食べさせることで馴化を試みていて、ロメロはやっぱりすごいなと思い知らされます」
「『新しい生活様式』と言われても、生活を変えることは簡単な話ではありません。いかなる共生が今後あり得るのか。比喩的なものかもしれませんが、そのヴァリエーションとしてゾンビ映画を見直す、または見始めてみるときなのではないでしょうか」