8月28日に安倍晋三首相が記者会見して辞意を表明し、にわかに次の首相を選ぶ動きが活発化している。しかし市場では、次が誰になっても金融緩和、財政拡大といった路線に大きな転換はないだろうとの見方が大勢だ。はたして本当に安倍首相の経済政策「アベノミクス」の恩恵かどうかは議論があるにしても、安倍首相の在任期間に日経平均株価が3倍になり、完全失業率は半分になった。次の首相はアベノミクスをお手本にしないわけにはいかない。
「確かにそれはその通り。だけどね……」と話すのは、名古屋商科大学で経済学部長を務める岩沢誠一郎教授だ。いまとなっては名うての行動経済学の研究者だが、かつては大手証券でハウスオピニオン(会社としての相場見通し)を担当するチーフストラテジストで鳴らしたベテランの相場ウオッチャーでもある。岩沢教授は「長年、相場を見てきた身としては、8年近くも続いた宰相が降りるとなると、やはり政策がどう変わるといった話を超えた節目の感覚を持つ投資家が多いように思う」という。
長い目で見て振り返ってみれば「あれが転換点だったね」といったできごとになるかもしれない、というのが、安倍首相の辞任についての岩沢教授の見立てだ。「次の首相が同じようにビジネス界の声に耳を傾けるのかというと、まったくの未知数だ」というのが1つ目の理由。たしかに現在、次の首相候補に名前が挙がっている菅義偉官房長官や、自民の岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長とも、首相として経済界とどう付き合うのかほぼ想像ができない。
安倍首相に「とにかく株価を上げよう」という精神が豊富だったことは間違いない。2006年の第1次安倍政権の発足前には「長期政権になれば株価が上がる」と主張し、長く政権の座にとどまる意欲を見せていたが、市場関係者には因果関係が逆だろうとツッコミを入れられたものだった。岩澤教授とは別の大手証券のストラテジストが、安倍氏との対談を書籍にまとめたのも2006年。次の首相に経済政策を聞くという内容だったが、巻末に推奨銘柄が付いていたのは語りぐさだ。
それに加えて、外交面での成果は見逃せない。G7(7カ国)の首脳ではドイツのメルケル首相に次ぐ古参になり、トランプ米大統領と個人的な関係を築くことができた数少ないリーダーとして存在感を発揮した。G7首脳会議で米欧が対立した際、「日本が提案した折衷案なら」とトランプ米大統領がいったん折れるなど、かつてないほど日米関係は良好だった。それはドル・円相場が大きく動けば、両国の政府・中央銀行も動くに違いないとの見方を誘い、外為相場の安定につながった可能性がある。
安倍首相の在任期間中はほぼ一貫して、米国の経済成長率が日本を上回っていた。これは世の中に出回る通貨の伸びが日米で異なることなどから、円高・ドル安要因といえるが、これが外交の成果で抑制されていたとすればどうか。岩澤教授は「日米の政策のタイミングが合わなくなったのをヘッジファンドなど投機筋に見透かされると、一気に円高が進む可能性が高い」と2つ目の理由を挙げる。「もちろん、円高が進めば日本株にも悪い影響が出ることになる」
安倍首相の辞意が伝わって8月28日に下落した日経平均は、土日をはさんで8月31日には下げを完全に埋める展開になった。金融政策や経済政策に大きな変化はないだろうとの安心感も寄与したもよう。米著名投資家による日本の商社株買いも伝わり、日本株は何事もなかったかのように上値を試す勢いだ。新型コロナウイルスの感染拡大で停滞した経済活動を国内外で再開する局面が続くと、上値追いを正当化する声もあるだろう。ただ為替相場の値動きが目立ってきたら要注意かもしれない。