大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館」7月31日公開 妻の恭子さんが語る最後の現場と2人の思い出

黒川 裕生 黒川 裕生

「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作などで知られ、日本映画界に大きな足跡を残した大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」が7月31日から劇場公開される。当初は4月10日に公開されるはずだったが、コロナ禍で延期。そして大林監督はまさにその4月10日、肺癌のため82歳で亡くなった。大林監督の最後の日々や、本作に込めた思いはどのようなものだったのだろう。お互い大学時代に出会ってから実に60年以上、大林監督と共に歩み、本作でもプロデューサーを務めている妻の恭子さんに、電話インタビューを申し込んだ。

「海辺の映画館」は大林監督の全てが詰め込まれた、大林版「ニュー・シネマ・パラダイス」と呼びたくなるような作品。日本の戦争の歴史を辿りながら反戦への強い思いをストレートに投げ掛け、無声映画やトーキー、アクション、ミュージカル…とめくるめく映画表現が展開していく。遺作であることはもちろん、大林組の常連俳優が大勢出演していることや、大林監督が20年ぶりに生まれ故郷の広島県尾道市で撮影したことでも、公開前から注目を集めている。

「朝は今でも寂しくて涙が出る」

――大林監督が亡くなってから3カ月が経ちます(※取材日は7月6日)。今はどのようなことを感じていらっしゃいますか?

「大学の頃から一緒でしたから、やっぱり寂しいですね。夜はそんなことないんですけど、毎朝すごく涙が出ちゃうんですよ。いつも『おはよう』と言い合っていたのに、『おはよう』が返ってこない。ベッドで目が覚めるたびに監督の不在を感じてしまうので、朝は弱いですね」

癌宣告後も前作「花筐」の現場では「元気そのもの」

――大林監督は前作「花筐/HANAGATAMI」クランクイン前の2016年に肺癌と診断され、余命宣告もされました。

「病院の先生から『(撮影地の)佐賀県唐津市に行くのはどうしますか?』と確認されたんですが、『花筐』は監督が40年前からやりたかった作品なので、私はどうしても撮らせてあげたいと思いました」

「現場では監督も元気そのものでした。唐津の病院に入院してそこから現場に通っていたんですが、先生から18時には戻るように言われていたのに、それが次第に20時になり、21時になり…最後には夜中の2時に。私の携帯に病院から『大丈夫ですか』という連絡がじゃんじゃん入ってくるほどでした」

「『花筐』の仕上げは、東京で放射線治療を受けながらの作業になりました。私は『監督は映画の神様に見守られている』と信じていましたけど、今振り返ると、無事に完成して本当によかったです」

スタッフ、キャストの笑顔に支えられた「海辺の映画館」

――そのような状態でさらに新作(「海辺の映画館」)を撮ることに、監督ご自身や恭子さんたち周りの人たちに不安はありませんでしたか?

「作りたいものがいっぱいある人ですから。ただ、私自身は『映画を作っている間は大丈夫』と思っていましたが、スタッフやキャストの皆さんはかなり心配してくださっていたと思います」

――現場での大林監督の様子はいかがでしたか。

「監督はモニターを見ながら演出するのが大嫌いで、いつも自分が動いてカメラのそばで俳優さんに振り付けをする人なんですが、今回はさすがにそれができず、そのことにイライラしている感じでした。大きな声なんて出したことがないのに、『聞こえないのか!ダメじゃないか!』と声を荒らげる場面があり、私も驚きました。終わった後で『大きな声を出してごめんなさい』と謝るところはいつもの監督なんですけれども。映画は足で動いて作るものだ、ということをずっと実践してきましたから、耐えられなかったのだと思います」

――闘病などで、思うようにいかないことも多かったのですね。

「撮影開始が延びたことで、気心の知れた大林組のスタッフの大半が参加できず、初めての人が多かった影響もあったようです。それでも、スタッフの皆さんは本当によくやってくださいました。キャストの皆さんも監督を信じて、笑顔で元気づけてくれました。初めての方たちも『大林監督に出会えてよかった』と言ってくださり、大変嬉しく思っています」

最後まで頭の中は映画のことばかりだった

――残念ながら、「海辺の映画館」が遺作になってしまいました。

「仕上げが終わった後から、癌が骨に転移するなど、病状が相当進行していきました。強い抗癌剤の点滴を受けるようになると、副作用でかなり弱ってきちゃいましたね。映画が完成した後は取材を受けたりもしましたけど、かなりしんどかったんじゃないかと思います。本人はそんな様子を見せないで皆さんと笑顔で接していましたけど…」

「『海辺の映画館』の仕上げでは、スタジオに入ると台本にどんどん書き込みをしていくんですよ。普段は5日から1週間もあればアフレコ、ダビングなどの作業は終わるんですけど、今回は3週間もかかりました。スタッフは『もう終わらないんじゃないか』と心配していましたが、私は『終わらない』んじゃなくて、『終わりたくない』んじゃないかと感じていました」

「今年の3月9日から19日が最後の入院だったんですが、入院中もスタジオに入りたがるので、『もう完成しているじゃない』と言うと、『いや、まだしていない』『まだやることがあるんだ』と言うんです。最後までずっと頭の中は映画のことばかりでしたね。昔から、2人でいても世間話というのは一切なくて、常に映画のことしか話さないんですよ。監督にとっては、映画が生きることであり、全てでした」

黒澤明監督から受け継いだバトンを次の世代へ

――「海辺の映画館」について、恭子さんはどんな作品だと感じていますか?

「監督が映画で伝えたいこと、映画でしかできないことが全て詰まった作品です」

「黒澤明監督が生前、大林のことをすごくかわいがってくださいました。その黒澤監督が『俺があと400年生きて映画を作り続ければ世界を平和にできるが、もう年だ。だから大林君が俺の続きを受け継いで、それでまた大林君の次の世代がつないでいってくれるといいね』と託してくださったのを、大林監督は今回、強い意志を持って実践しようとしたんだと思います」

――「観客のままでいてはいけない」という、若い世代に向けたメッセージが込められていましたね。

「監督の最後の講演となった、中原中也記念館での『海辺の映画館』について語る講演会でも、最後に『あなたはどうしますか』と問い掛けていました。ぜひ、最後の最後まで見ていただきたい。監督の言葉に『エンドマークの未来にはハッピーがあると信じよう』というものがあります。皆さんと一緒に、その『ハッピーエンド』を見届けることができたらと願っています」

「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は7月31日(金)から、大阪ステーションシティシネマなどで公開。

■公式サイト https://umibenoeigakan.jp/

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