「シェゲナベイべー」と棺おけから飛び出しそうだった 内田裕也は「恩人」BOROが語る意外な素顔

樺山 聡 樺山 聡

 今年3月に相次いで亡くなったロック歌手の内田裕也さんと、「ショーケン」の愛称で知られた萩原健一さん。独自の生きざまを貫いた2人と関わった男がいた。シンガー・ソングライターのBOROさん(65)=神戸市=。特に裕也さんは、大阪でBOROさんの才能を見いだし、デビュー曲のプロデュースを手掛けた「恩人」だった。デビュー40周年の記念アルバムを完成させたBOROさんは「一番祝ってほしい人だった」と惜しむ。

 「大阪の北新地でギターの弾き語りをしていたんですわ」。1978年頃だという。「評判を聞きつけた裕也さんが来てくれた。『オリジナルやってるんだってね、ちょっと聴かせてよ』というので5曲ぐらい歌ったら席に呼ばれて『何曲ぐらいあるの』っていうので『300曲ぐらい。自信があるのは50曲ぐらいです』と答えると『2枚組アルバムが作れるね』って言われて。『アルバムが作れるのか』と喜びましたよ」

 翌年の79年にレコードデビューを果たした。内田さんのプロデュースについてBOROさんは「録音ではずっと『いいなあ』としか言わないんです」と振り返る。「ただ、見せ方には気を配っていました。『白黒チェックのギターないかな』って言ってペンキで塗ったり。そういう内田さん発の世界観がはやるんですよ。流行はこうやってできるのかって。見事なものでした。『俺はプロデューサーじゃねえ』って言っていましたけど、実は緻密な計算と、裏で細かい根回しをしていくれていたと思います。そういうことに関しては天才的でしたから」

 私生活でも樹木希林さんとの別居生活など豪放でトラブルメーカーのイメージがつきまとう内田さんだが、実像は異なるという。「あれは一つのポーズ。ロッカーのポリシーで演じることを徹底していた。実際は私に対しても怒ったことがないし、声を荒げられたこともない」と明かす。

 BOROさんは同年に発表したセカンドシングル「大阪で生まれた女」がヒットした。そのリリース前に、萩原さんが歌うシングルが発売された。「裕也さんから電話があって、萩原さんが歌いたいと言っていると聞かされました。当時、萩原さんは女優のいしだあゆみさんと付き合っていて、萩原さんが『これは(池田市育ちの)あゆみの歌だ』と気に入っていたと、裕也さんから教えてもらいました」。萩原さんとはその後、コンサートなどで何度か顔を合わせたという。

 「割とシャイな人ですね。裕也さんもそうだけど」

 2人の訃報は新作アルバムの録音中にもたらされた。「完成したら裕也さんと一緒にキャンペーンに回るはずだった。『いいねえ、やろうか』って言ってくれていた」と残念がる。「亡くなったと聞いて駆けつけると、棺おけの中にいる裕也さんは今にも飛び出しそうなきれいな顔をしてた。いつものつえを持っていて、『シェゲナベイべー』って言って今にもステージに上がろうとしているような。昔の一緒に録音した時みたいだった」

 デビュー40周年記念アルバム「RISING!」は、原点である「大阪で生まれた女」の発売日にあわせ、8月1日にリリースした。オリジナルアルバムとしては10年ぶりになる。「2人から『頑張れ』って声を掛けられているような気持ちで完成させた。節目を機に、もう一回、朝日のように上昇しようと思いをタイトルに込めた」

 昭和の男臭い2人の美学を胸に、来年以降、全国公演を巡るという。

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