もしかして私の両親は「毒親」だった!?…自分が親になって気付いた言葉の暴力と、蓋をしてきた気持ち

島田 志麻 島田 志麻

これは私の小学生のときからの親友Aちゃんから聞いた話です。今思えば確かに、Aちゃん一家はちょっと変わった親子関係だったのかもしれません。

Aちゃんは共働きの両親の次女として生まれました。姉や弟とは違い、毎日何かと母親から注意されていたのを覚えています。

そのせいもあってか、Aちゃんは全てにおいて両親の顔色を伺い、言動に気をつけて生活することが常でした。

共働きの両親に代わりに小学生の頃から、放課後ランドセルを背負ったまま弟を保育園に迎えに行き、帰宅後は夕食を作り、お風呂に入れて寝かしつけをするということがAちゃんにとっては当たり前の日常でした。Aちゃんの姉は他の子と同じように、放課後は友達と遊んだりしていて、積極的に弟の世話を手伝うようなことはなく、気が向けば手伝ってくれるというような感じでした。

週末はパチンコ好きの両親に連れられ、パチンコ店に行っていたようですが、Aちゃんたち子どもは店内に連れて行ってもらえず、車の中で一日を過ごし、喉が渇いたときだけ飲み物代をもらいに行きました。そこでも「お前が来ると当たらない!」と叱られることも多く、小学生のAちゃんは素直に「邪魔をした私が悪い」と思っていたそうです。

高校や大学への進学先ついても姉と弟は何の条件もつけられず、希望校への進学が両親から許されていました。

ですが、Aちゃんは両親から「高校は市内の公立校」「大学は県内の四年制の女子大」と条件を出され、私立や共学校など希望する学校への進学は認めてもらえませんでした。

高校時代、Aちゃんの姉はアルバイトで得たお給料は好きに使い、アルバイトをしていないときは両親からお小遣いを貰っていました。

Aちゃんはというと、アルバイトで得たお給料の半分は家に入れることを約束させられていて、それでも足りない月はさらに追加で両親に渡さなくてはいけないこともありました。

大学生の頃、Aちゃんの母親が入院をしました。Aちゃんは弟の面倒をみるため姉と住んでいたアパートから帰省し、実家と病院を行き来していたのですが、姉はそのままアパートに残り、小学生のとき同様に何も手伝ってはくれませんでした。

ちょうどその時期、Aちゃんの学費の未納が発覚し、急遽実家からアパートに戻りアルバイトを増やして働くことになりました。それにも関わらず母親から「私が入院してもお前はなにもしてくれない!」と言われ、そこでようやく「うちの両親は他の家の両親とは違うのかも?」と感じるようになったそうです。

それから数年後、母親は入院の世話をしてくれたのは姉で、Aちゃんはなにもしなかったと親族に話しているのを耳にし、とてもやりきれない気持ちになったと話してくれました。

   ◇   ◇

高校生のときから続いていたお金の無心はAちゃんが結婚した後、さらにはAちゃんが離婚しシングルマザーとして生活を始めても尚、続いていました。

休日出勤などで週末に仕事があるときは、両親に孫の世話をお願いすることもあり、断りにくいというAちゃんの事情を逆手に取り両親からの要求額は増えるばかりでした。

両親の要求を断れば態度が急変し、叱責されるとわかっていたAちゃんは断ることもできず、両親に大人しく従う他ありませんでした。

幼い頃から両親の顔色を伺って生きてきたAちゃんには、両親に対する恐怖心が染み付いてしまっていたのです。「私さえ我慢すれば全てうまくいく」と思い、気持ちに蓋をするAちゃん。

しかしある日、実家に預けていた子どもを迎えに行った帰りの車中にて、子どもが祖父母である両親から「お前のせいでお母さんは離婚したんだよ」「お前のせいでお母さんは体を壊してるんだ」と言われたというのです。涙ながらに話す子どもを見て、「私だけでなく子どもまで言葉の暴力を受け自分の気持ちに蓋をして生きていくようなことはさせたくはないし、させるわけにはいかない」と強く思ったそうです。この出来事がAちゃんが両親から距離をおくきっかけとなりました。

今のAちゃんはというと、両親を反面教師として、毎日子育てに奮闘しています。

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